6月の予定
《STREET/駅前》

火水木金 7時ー16時
土 祝 10時ー16時
《ROJI/樹木荘》

水木金土日 10時ー17時
いつも通りです。よろしくお願いいたします。
昔から、わたしは”競争”や”勝負”というものを避ける傾向がある。
たとえば、あるものが一つしかなかったとして、2人の人間がいたとする。どっちが貰うかじゃんけんで決めよう!みたいなのも、もういやだ。
なので「わたしはそこまで欲しいわけじゃないから、どうぞ」ということになる。
それは優しさとか謙虚とか自己犠牲とかではなくて、そのほうが自分にとって有り難いから。(エネルギー量がそもそも少ないから、そこに使っていられない。面倒くさいともいう。)
ただ、相手も、ものが欲しいわけじゃない場合もある。
”勝敗をつけたい”という欲求であれば”どうぞ”と言われてしまうと”勝って手に入れる”というゲームが行われないということであり、一方的に不戦勝となる。
それは相手にとっては嬉しいことではない。
“勝った時の喜び”が欲しいのであって、もの自体が欲しいわけではなかった、ということはけっこうある。
“勝った時の喜び”は、ゆるゆるのらりくらりと生きていたら手に入らない類の喜びである。
そもそも、勝ちたくなどないのだし、戦いたくないのだし、そこから得られるものは求めていないのだけれど、この社会ではそうもいっていられない。
学生時代も社会人になっても、基本的には比較され競わされ、おしりを叩かれ続けている。
その競争を降りるには、その競争が行われていなさそうな土壌にいくしかない。
ただ、わたしみたいな戦わない人間ばっかりだったら、こうやって社会は発展していないし技術の進歩もない。企業も人間も競い合ってきたから、こうして享受しているものばかりでもある。
一生懸命競って、比較されて、頑張っている人がいるから、今この社会が成り立っている。
だとしたら、私にできることは、戦っている人が戦わなくてもいい時間を保つことである。
勝ちも負けも存在しない空間をつくることである。一時的に避難できるような、たとえば保健室のような。
そして、同じように「戦えない人」に、「戦わなくても一応生きてるよ〜」という例のひとつを示すことである。
運動会で懸命に走っている子どもたちが、すくすく育ってくれることを願う。一生懸命やること、勝つこと、負けること、戦うこと、戦わないこと。練習すること、力を合わせること。その度に、違和感や自分にしっくりくること、こないことを経験してほしい。
そこで生じた疑問に、自分のヒントが隠れている。そのヒントの中に、君の道があるかもしれない。
6月もよろしくお願いします。






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