0.1の話

同じものを見て、「これは赤色ですね」とひとりが言ったときに、もう片方が「うん、赤色ですね」とこたえたとする。
そのときに、その2人は本当に同じ赤色が見えているのか?ということがずっと気になっている。
本当に同じものが見えているのか。
どうして同じものが見えているといえるのか。
同じものは見えていないかもしれないけれど、同じものが見えているという前提の認識である、ということなのか。
たとえば、これは7ですね、と言ったとき。
それは、7.1なのか7.3なのか6.999なのか。
ざっくりいったら7ということなのか、ピンポイントの7.000なのか。
だれかと言葉を交わしているとき。
あなたの使用している「自由」という言葉と、わたしの使用している「自由」という言葉は、本当に同じ意味で使われているのか。
言語も感覚も各々の基準があるとして、その差異がうやむやなまま話を進めていくことは怖くはないのか。
0.1mmずつのコミュニケーションのズレが、1年後には10mくらいになっていたりはしないのか。
「大枠で合意するしかない」
といわれれば、まあそうなのだけれど。
それでも、あれ?伝わってないような気がする、と話の途中で違和感が出てくることはよくある話で。
その時になって、あれ?あなたのいう赤色って朱色のことだったのですね?などということが、すべての語句で出てくるわけで、この一箇所が朱色になると次の群青もズレてきません?みたいなことも起こるわけで。
0.1のズレが非常に厄介で、その0.1を突きつけられるたびに、人と人は本当の意味では絶対に分かり合えないのだと、絶望的な気持ちになる。
そして、厄介なのにもかかわらず、わたしはその0.1の話をするのが楽しくて仕方がない。
なんなら、その話をしたくて毎日生きてる。
その0.1の方向は、右なのか左なのか上なのか下なのか、真紅なのか臙脂色なのか茜色なのか、自由をなんの対として使用したのか、みたいな、そういうのが。
そんな細かい話は生きる上でどうだっていいんだから気にしない方がいいよ、と言われても、ノーノー違うのです。こちとら気にしたい、のです。
みんなが「あ〜楽しい〜!」といっていることを、どこが、どういうふうに、どんな感じで、どう楽しいのか、いちいち聞きたい。
どのシチュエーションだと楽しくて、どのシチュエーションだと楽しくないのか、それはなぜなのか、どのような違いなのか。
(ただ、盛り上がっているところでそんなことを言い出すとめんどくさい人間確定なので一応は控えている)
みんな違うんだから、ということを承知の上で、その上でどこがどんな風にどう違うのかを知りたい。そして、それがなぜなのかを知りたい。どんな背景がそうさせたのかを。
100とか1000とかの話もおもしろいのだけれど、0.1の話もおもしろい。
毎日がおもしろいの連続だ。
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コメント5件
そう、「色」もそうだけど「音」や「味」も自分が感じているのと他の人が感じているものが全く同じなのだろうか、と疑問に思う
楽譜にある音符・休符の長さも「○拍」って言われても0.何秒?0.0何秒??なんだかよくわからないʬʬʬ
皆んなが感じている「色」「音」「味」と自分が感じているものがどう違うのかは証明出来ないから、同じ様に感じていると思わない方が良いのかもねʬ






子供の他愛もない話をきいて、その子の使う言葉の表現に違和感がある時、ご家庭で都度訂正を受けるお子さんの学力は伸びる傾向にある。という塾経営者の話を聞いたことがあります。
例えば、その子が「~で、楽しかった」と言ったとしても、話の内容から「それは「楽しかった」じゃなくて「嬉しかった」だよ」と。
細かい言葉遣いを覚えたり、お互いの内容を確認擦り合わせすることは、大切で
「若者言葉はわからない。」とかで終わらせてしまうのはとても勿体ない。と、日々思っています。