わたしの景色の中継報告
なんで、上に伸びなきゃいけないの?
なんで、前に進まなきゃいけないの?
と、昔から、ずっと思っていた気がする。「頑張る」とか「努力」の方向が、もしかして、もしかしたら、ひととズレているのかもしれない。この歳になって、ようやく小さな(大きな?)ズレを認識し始めている。
成長って、上に伸びることだけじゃない。前に進むことだけじゃない。形的には変わらなくても、複雑な内部を形成することだって成長だし、下に下に根を張ることも成長だ。
上に、前に、伸びることは「わかりやすい成長のかたち」かもしれない。数字や実績で表すことが出来るのは、こっちの成長かもしれない。
内部や地表下に成長することは、「見つけにくい成長のかたち」であるかもしれない。内部がどれだけ複雑になったって、地面の下に下に伸びたって、それは主観的でしかなく、言語化することが困難だったり、そもそもその必要がないような、自分だけ楽しめるムッツリした成長のかたちかもしれない。
「街の土壌を豊かにする」「街角から世界を平和にする」
それは、決して数値化出来るものではなく、明確な達成目標があるものでもなく、その場に立ってみて肌感で感じるものでしかない。お店をするにあたって、私の立てている目標(と言っていいのかもわからない壮大な実験)は、どれも、不明確で不明瞭で、測定不能なものばかりだ。
それゆえ、「はい、目標達成ー!」となる日は一生来ない。達成しえない。だから、ずっと取り組み続けないといけない。誰かに判断されることもない。私が、私の肌感で成長していることを感じるしかなく、説明するにも根拠もなにもない。判断する人が、その場に立ち、実感するしかない。
だから、おもしろい。ずーっと、毎日、おもしろい。
毎日、毎日、誰かにふれる。相手のことが、ほんのちょっと分かったりする。”違う”と思っていた相手とのあいだに”同じ”ものが流れているかもしれない、と感じたりする。わからない、相手が、知れば知るほどわからなくなったり、あるとき突然、わかりそう!になったりする。
ときどき、笑顔の奥の涙にふれたり、寂しさの中の強さに出会ったりする。苦しみの中の喜びだったり、諦めのなかの安堵だったり、人の心は複雑だ。日々接する他者を知ることで、自分を知ることで、ほんの少しずつ世界を信頼していく営み。
私はこれを”しあわせ”と呼んでいる。
自分を構成している「幸せホルモン」は、どのホルモンが出ている傾向が強いか、ということを時々考えるとおもしろい。ドーパミン的なホルモンは、報酬や期待によってもたらされる。オキシトシン的なホルモンは、愛情や信頼によってもたらされる。セロトニン的なホルモンは、安らぎや穏やかさによってもたらされる。
自分が幸福を感じるとき、どの傾向が強いかによって、自分を構成している要素が見えてくる気がする。
自分のそれを知ると、ほんのちょっと、生きやすくなるのではないか、と30年以上人間をやってみて、ようやく分かってきた。これから生きていく中で、きっと、もっと、いろんなことを発見していくはずで、それが楽しみで仕方がない。
”人間すること”を楽しむ。そういう景色をみています。中継報告、おわり。
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コメント6件
世の中、客観的な評価とか、客観的な分析とか、第三者の冷静な目線とかが大事みたいなこと言われがちだけど、所詮、それらの多くは他人事で無責任と思った方が気が楽で、自分の感情を大事にするのが一番です。
それは独りよがりとか、自己中とかじゃないか?なんて不安に思う人は、そうならないように心がけている人だと思うので、一周廻って「独りよがり上等!」って思えばいい。
むしろ客観的に、、とか言いながら人を評価する人の方が自己中だったりすることの方が多いような気がします。
ということで、思う存分、自分の感情を楽しみましょう!
何年も立ち止まっている私ですが、それを受け入れてくれている嫁さんや、いつものコーヒー屋さん、そのお客さん、周りの方々に感謝しかありません
上にも伸びてない、前にも進んでないけど…ちょっとだけ根っこが伸びたかもね?
今生きている事が幸せな事なんだよな
幸せは自分の心が決める…周りに感謝しながら、周りも自分も幸せにしよう!
“楽しむ”って大事ですよね。どんな状態でもそれは捉え方次第。自分の気持ちの持ち用次第。毎日楽しいです。