ダウンロードとインストール

本を読む。

アートにふれる。

音楽を聞く。

旬を味わう。

なにかを体験したときに、人はそれらをどういう風に自分に取り込んでいるのか。

個々の取り込み方の違いに興味が湧いている。

コンテンツとしてダウンロードする。

それは、そのファイルを手元に保存して再生できるようにするということ。自我のあり方とは無関係に保存できる。自分とは切り離した状態で自立して存在している。ダウンロードの対象は客観性を持ったモノであるということ。

自身の中にインストールする。

それは、自らに取り入れるということ。新しい視点を得るということ。自分の一部を変容させるということ。取り入れる前の自分と、取り入れたあとの自分では”違う”反応が起こるということ。

ダウンロードとインストールは、似ているけれどぜんぜん違う。

本や映画、文化や芸術、音楽や味覚、なにかにふれたときに、それをどのような存在として捉えているのか。その対象を自分のなかのどこまで反映させるのか。

その取り入れ方によって、その人の”成り立ち”のようなものが構成されているような気がしている。

例えば、本を読む。それは文字の羅列を追うということなのか、もしくは著者の感性や生きてきた軌跡、思考方法や情動などの価値観を取り入れるということなのか。

本を読むことが、ダウンロード的であるならば、それは”知識”が増えるということかもしれない。インストール的であるならば、自己の構成要素を増やすということなのかもしれない。

ふれるものすべてをインストールすることは出来ない。だとしたら、重要なのは、なにをダウンロードして、なにをインストールするのか、という取捨選択なのかもしれない。

ダウンロードは、データがいっぱいになっていくと容量がパンパンになって、ときどき消去していかなければパンクしてしまう。そういうときにはファイルをぎゅっと絞って圧縮ファイルにするのかもしれない。

インストールは、そっくりそのまま取り入れようと思ったら同じくパンパンになってしまうのだけれど、本質だけを抽出したら占拠する容量はそんなに大きくない。

圧縮と、抽出は、似ているようだけれど、結構違う。本質の抽出は、全体を縮めるということではなく、いるところだけを抜き出すという作業。

圧縮が”あらすじ”だとしたら、抽出は”引用”かもしれない。その人の主観が色濃く反映されるのはおそらく”引用”のほうだ。

読んでも読んでも、読んでいない人もいる。

読んでいなくても、よんでいるひともいる。

聞いていても、聴いていない人もいる。

聞こえなくても、聴いてくれる人もいる。

見ていても、視ていない人もいる。

見えていなくても、診ている人もいる。

会話しても、理解が深まらないことはあるし、会話しなくても、理解が深まることもある。

表面的な行為は、もしかしたらそんなに重要ではないのかもしれない。

他のデータの見え方もガラリと変えてしまうこと。視点を得るということ。そういう物事との出会いが”生き方”をつくっていくのかもしれない。だとしたら、なににふれるか、も、もちろん大事ではあるけれど、どう取り入れるか、も、とても大事だ。

それは、コンテンツ側の問題ではなく、自分の問題だ。

そういえば、幼少期の頃は”環境”や”見たもの”’聞こえてきたこと”と、すべての物事がその人の自我に影響を与えていたともいえる。取捨選択せず、まわりにあったものすべてが、人格を形成する要素の一部になるといっても過言ではない。それは、”周囲のすべて”をインストールしていたともいえる。

それは時々、しんどさをもはらんでいる。

そうなると「大人になる」ということは、ダンロードに留めておくものと、インストールすべきものを取捨選択出来るようになる、ということなのかもしれない。

年を取って頭が固くなる、というのはインストールがしにくくなっていく、あたらしい価値観が取り入れられなくなっていく、ということなのかもしれない。

インストール方法をインストールするには、”学ぶ”のではなく、子どもの頃を”思い出す”ことが重要なのかもしれない。

知識が増えたら、その人の人生は豊かになるのか、といわれると、そうとも言い切れない。

視点が増えたら、その人の人生は豊かになるのか、といわれると、きっとそうだと言いたくなる。

これも、私の現段階での見解でしかない。きっと、この先どんどん変わっていく。そうであってほしい。

今日も良き一日でした。

そんなわけで、今週も頑張りましょう◎

2023年09月18日 | Posted in ブログ, 最近の出来事, 私の生き方 | | 2 Comments » 

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コメント2件

  • 松島 馨 より:

    人間に対する「ダウンロードとインストール」、なるほど、似ている様で明らかに違うのですね
    昔の「引き出し」って表現はダウンロードに相当するのかな?ʬʬ
    小さな頃は何でもどんどん吸収出来る人間の脳とパソコンやハードディスクレコーダーのハードディスクも似ているね
    レコーダーも何年も使っていると容量がパンパンになり、圧縮やら編集して、なんとか乗り切ってる
    あ、機械には人間の脳には出来ないハードディスク増設なんてのも出来ますが…ʬ

    ダウンロードとインストールを使い分け、自分のココロのver.(バージョン)を更新し続ける事が生きていく、という事なのだろうか

    • NOZOMI より:

      松島さん

      似ているけど、違う感じがします。
      どっちがどう、ってわけでもないのだけれど、その取捨選択はかなり個性が出るのではないかという気がします。
      たぶん、生きていくには、ずっと更新しなくても大丈夫な気がします。
      ただ、不可解なものを理解しようとするのであれば、更新していく必要があるのかもしれないですね。

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