ひと皿の料理から

沈んでいる時や、かなしい時に行きたくなるお店がある。
料理が美味しいのはもちろんなのだけれど、たぶんそこにいく理由はそれだけではなくて。
そこにいくと気持ちがじんわりと温かくなって、その人の料理の中に込められた”何か”を噛み締めるような、そういう時間を求めているのかもしれない。
“あなたはちゃんと世界に愛されています”
そんな味がするごはんを食べたくなる時がある。
ふだんまったくグルメじゃないし、そんなに食にこだわりは無い方なのだけれど。ふと、そのお店に行きたくなると、いま元気がなくて落ちている時なのかもしれないなあと自覚する。
一皿の中に、その人の生き方が詰まってる、みたいな料理。そういうのに出会うと、ドキリとする。
料理だけじゃなくて、デザートだってコーヒーだって、きっと、それはある。
作り手がどれだけなにかを込めても、誰にも受け取られなかったらそれは”在った”ことにはならない。
受け手が受け止めて、はじめてそれは存在として現れる。
おくる人になりたいのであれば、受けとる人にならなければいけないのかもしれない。
すでに、そこに在るものから、多くを受け取れるように。
言葉ではないことばを、見つけることができるように。
生きるって、そういうことなのかもしれない。
すでに目の前にあるものから、何を受けとるのか。
それが生き方ということなのかもしれない。







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