アリの毎日

駅前の工事が迫ってきている。
いずれ、今お店のある駅前の芝生スペースも取り壊しが決まっている。
それは最初から決まっていたことで、急に決まったことじゃない。
さみしいけれど、誰かの何かを借りるということは、きっとそういうこと。
いつだって、何が起こるかはわからない。永遠にあるものなどない。
先日、樹木荘でアリを観察していた。
アリは、巣に入り切らない大きさのてんとう虫の死骸を、一生懸命中に運び入れようとしていた。
ちょっと大きすぎて入らない。何度も角度を変え、入れようとしては戻し、入れようとしては戻し、別のアリと交代しながら奮闘していた。
もどかしくなって入口を少し崩すと、一瞬でアリはみんな奥に引っ込んで危険を察知して静かになった。
”ナニモノかが、巣の入口を攻撃してきました!””みんな静かに!”というような感じ。
それから数分じっと待つと、一斉にアリが出てきて、崩された部分を修復しはじめた。ひとつひとつ砂の粒を顎でつかんで外に運び出す。
気の遠くなるような作業を、一生懸命している。
”誰だよ崩したのこの野郎〜”と怒っているのかもしれないし、”はあ、またやりなおしですね”とやれやれしているのかもしれない。アリに感情があるのかはわからないけれど、ただ淡々と黙々と、ひとつひとつの砂の粒を外に出すことを繰り返す。
私の毎日はアリの毎日にわりと近いような気もしてくる。
アリは何かを成し遂げようと思って(たとえば創作のような)なにかをつくっているわけじゃない。ゴールに向かっているわけじゃない。それ自体が本能的な毎日の行為として、あたりまえのように動いている。
動くこと自体がアリにとっての”生きる”ということで、なにが”完成”でもないし、どうなったら”ゴール”でもない。
ただ、自分の役割をやっている。
結果的にできたその巣を見て「うわあすごい!」と言われることもあれば、巣の存在になど気付かれないこともある。大雨で水浸しになることもあるし、人間が入口を崩してくることもある。
だからといって、彼らは巣を作ることを辞めない。それが彼らにとっての”生きる”ということと直結している。いつだって目の前にある自分の役割をやっていて、それ以上でもそれ以下でもない。
どういう形であれ、人の居場所をつくることはできるはず。
私も、自分の役割を辞めないぞ、とアリに誓う。







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