諸行無常の響きあり

”無常”という言葉が、自分の中にしっかりと根付くようになったのはいつからか。
物事は絶えず変化していくということ。常に同じもの、永遠に変わらないものなど何もないということ。流れているものを、受け入れるということ。
無常は、刹那的で虚しさや寂しさも含みながら、苦悩や不運も永遠には続かないという救いでもある。
変化は、起こそう起こそうとしなくても、日々、起こっている。毎瞬間、起こっている。受け入れようが、受け入れまいが、そうである。(であるならば、受け入れたほうが楽かもしれない)
諸行無常は、物理的な方向から解釈すれば”エントロピー増大の法則”とも親和性があるような気がする。
物事は、秩序から無秩序の方に向かって常に動いている。形あるものは滅びゆく。自然界は無秩序な方向へ進む。
保つためには抗うしかない。が、抗う力もいずれ飲み込まれる。
永久不変なものなど何も無い。
今日思っていることが、明日は違うかもしれない。
今日の正しさが、明日の誤りかもしれない。
今日の普通が、明日の異常かもしれない。
今の気持ちが、数分後には変化しているかもしれない。
そう考えたとき、起きた出来事にその都度意味付けをするのは、無意味なように思える。
一喜一憂したところで、長期的にみたらどうであるか、人生が終わるときにどう感じたか、なんて誰にも分からない。
ポジティブに変換しようとかそういうことではなくて。起きた出来事には、起きた出来事以上の意味はない。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。あのとき何もわからずに暗唱していたフレーズに、再び出会う。
駅前、先週から駅間のペデストリアンデッキが開通しました。今週はバス乗り場も西口に移行し、東口のロータリーは流れ方が変わるようです。車で付近を通る際はお気をつけください。







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