何に幸せを感じますか?

先日、久しぶりに会った友人と、何をしているときに幸せを感じるか?という話になった。
私はたくさんある中の、とくに重要だと思える一つを答える。
”見ず知らずの全く知らない、今後会うこともない誰かに親切にできた時”
道を聞かれてこたえる、荷物を運ぶのを手伝う、挨拶しながらひと声かける、みたいな、親切ともいえないくらい小さなことをしたときに、とても気持ちが朗らかになる。今日もいい日だなあと思う。
じんわりと温かい気持ちになる。
あの気持ちを言葉であらわしたものが”幸せ”に近いのではないかと思う。
知り合いや友人や家族にするのとは、また違う感覚でもある。
親切にする相手が近しい人であれば、その後の関係に影響したり、意識はしなくてもギブとテイクの記憶が少なからず残る。家族や知人が喜んでくれることはもちろん嬉しいが、「あの時のあの感情」にはならない気がする。
まったく見ず知らずの相手は、もう二度と会うことはないから、相手がどうこうということではない。ただ、自分の内側の”今日はいいことができたかもしれない”という幸福感でしかない。
そうは言っても、自分が幸福感を得るために誰かに親切にしよう!とすると、行動より前に”見返りへの期待”が発生してしまうので、幸福感は得られないような気がする。”ありがとうと言われたい!”などの欲求も、幸福感の邪魔をする。
受け取る時も同様だ。
家族や知人が親切にしてくれた場合、「ありがとう!」とは思うけれど、「感動」にはなりにくい。なぜなら、近しい人は困っていたら助け合うことが前提になっているから。あなたが困っていたら私が助けるし、私が困っていたら助けて欲しい、という相互関係を日常のコミュニケーションの中で結んでいるのが近しい人だと思うから。
だからこそ、名前も知らないし、今後会うこともないし、私を助けても何のメリットもない人が良くしてくれたとき「感動」する。そこには打算もなく、見返りもなく、”にもかかわらず助けてくれた”という気持ちだけが残る。
駅前はあらゆる人がいるがゆえ、誰かの小さな困りごとに直面する場面が多々ある。
コーヒーを飲んでいたお客さんが、困っている人を助けてくれることもある。
困っている人がいる。親切にする場面が発生する。私たちは毎日、知らず知らずのうちに幸せを受け取っている。







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