ミクロとマクロ

「カフェを続けて、状況が変わっていくにつれて、失ったものはなんですか?」
先日、お客さんに聞かれてドキリとした質問だった。
状況が変わっていくにつれ、得るものがある。そして、その反面、失っていくものは必ずある。
それは、失っていく寂しさや後ろめたさを内包しつつ、それでも手放さなければいけないことを承知の上でその場に託していくような行為である。
一番はじめ、ひとりで移動カフェを初めたときの私あったもの、そしてその時の私の見たかったものは、ミクロの視点だけだった。
それは、一枚一枚の葉っぱをじっくりみていくような行為。今、目の前のお客さんの心情にフォーカスを当て、その人のその時の状況をできるだけ一緒に感じていくようなものだった。
ありがたいことに、人やお店が増えるととも、徐々にマクロの視点で見ざるをえないこともでてくる。それは葉っぱ一枚一枚から、幹や枝や全体像、一本の木をみていくような行為である。
そして、その先にはおそらく木々の茂った森を見ていくような視点が必要になる。これはおそらく、街や社会のことを考えていくようなものであるかもしれない。
自分がするべきことが変化していくというのは喜ばしいことでもあるが、寂しさや後ろめたさも伴う。
10までしたかったことが、7までしか出来なくなるかもしれない。それは恐怖心でもあるのかもしれない。
ただ、縦グラフの10が7になったとき、横グラフは0から5になっているかもしれない。そしてそれはそのうち、2軸から3軸へ、立体になっていくのかもしれない。
変化していくことはおもしろい。そして、ほんのちょっと怖い。
でも、きっと大丈夫。一緒に頑張ってくれるみんながいる。それぞれの視点でみていてくれる人達がいる。私が私を見失わないように。それでも、いろんな視点で見たり感じたりし続けられるように。
9月ももう終盤。頑張った、楽しかった、そういう1ヶ月。






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