2021/12/31 に思うこと
今年とくに印象に残ったことはなんだったかなあ、と思い返すと「ヒト」というものにより一層興味が湧いたことだったかもしれない。
わたしは、たぶん「ヒト」が好きだ。「人と人のつながり」とか、そいういう温かな関係性を示す「人」も好きではあるのだけれど、どちらかというと生物としての「ヒト」の心理や思考回路に興味がある。
この人は、どんな景色を見て、何を感じて、どのような思いを巡らせて今に至るのだろう。この人は、どんな気持ちを携えてこれまで生きてきたのだろう。この人のエネルギーの根源はなんだろう?この人のカタチ形成してきたものは、どんなものたちだろう?
それは時に、目の前にいる人であり、尊敬する人であり、家族であり、友人であり、街で見かける人であったりする。
誰かの理解できない思考にぶつかったときに「いろんな人がいるからね」といえば治まる空気がある。そんなに簡単に諦めていいのかな、と思う。その言葉は、誰も傷つけないし、自分と違う他者を肯定する言葉でもある。だけれど、関係を構築する前の段階でその言葉をつかうのは「端っから相手を理解するつもりはない」と宣言する遮断の言葉でもあるように思う。
いろんな人がいる。それは分かっている。だからこそ、理解できないことを承知の上で、理解しようとしたい。知りたい。どんな感情も、どんな景色をみているのかも、好きなものも、嫌いなものも。そのヒトを構築してきた歴史を知りたい。
人を知るほど、いろんな人がいるんじゃなくて、いろんな人しかいなんじゃないかな、と思う。「ふつう」という概念が、その世界のより多くを見てぼんやりとした中心を定めることであるとするならば、まだまだ「ふつう」がみえるほどの人に出会っていないのだ、ともいえる。もしくは、人においてそもそも「ふつう」などありえなく、すべてが「特殊」であるだけなのか。
”あってはならない感情なんてこの世にはない。それは、つまり生きてはいけない人間などこの世にはいないということ。”
好きな本に出てきたこの言葉が、今年一年で1番ゾクリとした言葉かもしれない。ゾクリとして、ドキリとして、それでいてじわじわと下から支えてくれるような言葉。
《いろんな人がいる。いろんな感情がある。》だからこそ、出来ることがある。その言葉を使うときは「諦め」ではなく「希望」として使いたい。
今年も1年、更新も遅い、要領も悪い、要点もはっきりしないブログにお付き合いいただいた稀有な方々、本当にありがとうございました。「楽しみにしています」といってもらえた一言が、とても嬉しかったです。
来年も、こんなペースではあるとは思いますが、ぜひ気が向いたら覗いてみてください。おそらく、好き勝手に書いているかと思います。
2022年も良い年になることを願って、今年最後の晩酌に向かうとします。ありがとうございました。良いお年を。
STREET COFFEE&BOOKS
中島希
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