「あなたのために」に逃げないこと
「あなたのためを思って、」という言葉がどうにも嫌いだ。
「あなたのため」という名前の自分のためでしょう、と思うのだけれど、大人だから角が立たないように言わないようにしている。(そして、結局ブログで書いている)
たとえば「あなたのために、コーヒーを飲みに来たよ」と言われた場合、なんか違うな、と思う。
私のためにコーヒーを飲みに来るのではなく、自分のためにコーヒーを飲みに来てほしい。自分にとって、必要だったから。そういう理由で来てほしい。飲みたいな、と思ったときに来てほしい。もちろん「あなたのために来たよ」は、ありがたいことではあるのだけれど。
このあたりのニュアンスや、言葉の使い方は、人間関係を形成するにおいてとても重要だと思う。
もし仮に「あなたのために」だとしても、それを覆い隠すことは優しさでもある。
「あなたのために」が、結局は相手のためになっておらず、「純粋に自分のために」が相手を救っていることもある。
「物理的に助かる」と「精神的に助かる」は、イコールではない。物理的には助けているけれど、精神的には追い詰めていることもある。これは、すごく怖いことではないかと思う。これがいちばん顕著にあらわれるのは、きっと親子関係だ。
親が子どもに対して「あなたのためを思って」という言葉をつかうことは、きっとある。「自分より経験が浅いもの」に対してアドバイスすることもあるし、かわいい我が子の危険回避としてつかうこともある。だけれど、それらは結局「子どものため」ではなかったりする。「心配させないでほしい」「不安にさせないでほしい」という願望が潜んでいるとしたらそれは「親のため」の言葉でしかない。
それを、自覚しているのであればまだいいけれど。怖いのは、本人が自覚していなくて本当に純粋に「愛する相手のために!!!」と思っている時である。それは、行き過ぎると憎しみになり、他者への攻撃の正当な理由になりえる。
タモリさんは言った。「愛がある限り、戦争はなくならない」
きっと、そういうことなのだ。
わたしたちが、本当に大切なことに気付いたり、学んだり、刺激をうけて成長欲を掻き立てられるのは、「自分の人生に一生懸命向き合っている人」と対峙した時である。誰かの人生にあれやこれやという暇がないほど、その人たちは自分の人生を一生懸命生きている。
あの人が頑張っているから、私も頑張ろう!そう思える人に出会えたことは、なによりもの心の支えではないか。
あなたが、自分の人生に向き合うこと。少し休んで、また歩きだしてみること。「あなたのため」に、逃げないこと。「自分のために」日々を過ごすこと。
それが、何よりも大切ではないか、と思います。
関連記事
コメント6件
“自分の為に”いいですね。
私の勤めている会社では
“自分ではない誰かの為に”
と事あるごとに言われています。
“お客様目線”や”誰かの為に”は確かに
大切な事だけど、言葉だけが一人歩きする。
私の職場ではみんなに
“自分の為に働いて下さい”と
こっそり伝えています(笑)
自分の為に一生懸命働く事が、
会社の為になり、商品を買って下さる
お客様の為に繋がるはずだから。
何を言うかではなく、誰が言うかの世界・・・
疲れますね。
話がそれちゃったな(汗)
ある人が言ってた言葉があります。
”皆がそれぞれの人生の主人公として生きている”
自分自身も、相手の方自身も、皆が自分の人生の主人公として生きている。
僕もまだまだこれからですが、自分も皆もこの意味が理解できた時に、あなたのためにという言葉が変わるかもしれないですね。
毎週このブログを読むのが楽しみだ
何故だろう、生きるのを諦めそうになった私の心を癒やしてくれるからだろうか
ありがとう、本当にありがとう
「あの人が頑張っているから、私も頑張ろう!」そう思える人には毎日の様に会っているはずなのに…
なかなか前に進めない、とても辛い、ひとりで過ごす時間が怖いから長居してしまう、お店にとっては迷惑な話しなのだろうが… ごめんなさい
今日も逃げずに生きる「自分のために」