”自分”というコト

ポカポカと晴れている日に、外に洗濯物を干すとき、なんとも至福だなあと思う。
今は、ちょうどそれが可能になってきた時期。今日もグングンと乾いていく洗濯物に、力強さと生命力を感じる。
「僕たち、今からグングンと乾いていきますので!乞うご期待!」というような声が洗濯物から発せられている気がして、どうにも気分がいい。太陽の生命力を可視化してくれるのが洗濯物なのかもしれない。
”ポカポカと晴れている日に、外に洗濯物を干す時間”を私は気に入っているけれど、”雨の日に洗濯物を室内に干す”ということは、まったく気に入っていない。その時には全然テンションは上がらないし、出来れば誰かやってくれたら嬉しいと思っている。
つまり、”干すという行為”が好きという事ではなく、”力強さと生命力を感じる瞬間”ということが好きなのであり、対象が”モノ的”ではなく”コト的”、さらには抽象化して抽出した”コト的”なのかもしれない。
他にも、”料理”は別に好きではないけれど、”時間を気にせず飲みながら適当に料理する時間”はとっても好きであったりする。
考えてみれば、全部そうかもしれない。人に”読んでと言われた本を読むこと”は苦行に近いけれど、自分の興味のある本は没頭していくらでも読んでいられる。それは”読むということ”が好きというよりは、”興味を深堀すること”が好きなのかもしれない。
お店もそうかもしれない。ただ黙々と相手の顔も見れずにコーヒーを淹れ続けることはどこかで興味の限界が来てしまいそうな気がするけれど”コーヒーを通してその人を知っていく”というところにはずっと楽しさを感じる。これに関してはまったく飽きない。毎日が、毎回が、一回きりの上演で、すべてが新しい出来事で新鮮で、飽きないどころかどんどん面白さを感じる。
あらゆるものを”コト的”にみてしまう。
モノとしてみれず、コトとして感じてしまう。
例えば、ある映画を観たとする。その映画自体を自分と切り離した”もの”としてみられず、”その映画を観たこと”としてしか認識できない。これは自分の感じ方の特徴だなあと最近気付いた。
「自分の前方にモノがあり、それを眺めている」という見え方ではなく、「自分がモノに触れ、その接触面がどうであったか」という、出来事を視覚的ではなく、触覚的に認識している節がある。
目の前に他者がいたときに、その人を眺めて”判断”することは私にはできないけれど、自分と接触したときの接触面の感覚は感じられる。私にとってはつるりとしていた、とか、しっとりしていた、とか、温かかった、とか。
ある出来事があったとして、それを”判断”することは私にはできなくて、ただそれに触れた自分はどうであったか、ということは感じられる。だから、触れようとする。知りたい、と思う。聞きたい、と思う。
それは視覚的な判断力のなさでもあり(視力とは別の意味)、体感的な感覚の方が優勢という気がする。
それは自分と対象との距離の問題であり、自分と対象との関係性の問題であり、自分の身体と自分の心の隔たりでもある気がする。
自分の身体や脳を実験器具のようにつかい、それに対してどう反応したかというアンサーを経て、自分の心に触れようとする、ということをずっとしているのかもしれない。
どういうことなのか、なぜそうなるのか、環境要因的な脳の癖なのか、そもそもの遺伝子的な脳の構造なのか、そもそもみんなそうなのか、そうではないのか、
世界を知るには、自分を知らないといけなくて、自分が何色の眼鏡をかけているのかもわからずに、世界を鮮明にみることはできないから、自分にかかっている眼鏡の色をまずは推測している、という段階なのだろうなと思う。
他者に興味を持つということは、自分に興味を持つということであり、それは世界に興味を持つ、という事でもあるのだろうなあと思う。
知りたいことが多すぎる。先は長い。
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コメント3件
この思考でいるのなら
他者から読んでと言われる本があった時
「なんで相手がそう言ってくれたのだろう。」
と、相手(の思考等)に興味を持てば
その本を読むことは苦行とまでならないと思うのですが
そこが苦行になるのは何故なのでしょう。
その答えも、1つのご自身の答えかもですね。
部屋干し派です!
洗濯物はじわじわ乾きますʬ
私は洗濯物を”干すという行為”が好きなのかも?
シンクに溜まった洗い物も好きかも?
ふ〜終わったぁ!って達成感?が好きなのかもʬ
本とか音楽とか自分が好きなものは相手にも”刺さるはず!”って思いがちだけど人それぞれなのよね
世界は知らない事だらけで面白い
全てを知ってしまったら、この先新しい事を知る喜びを失ってしまうもの
知りたい事が多すぎる。先は長い。すごく深くて視座が高い思いだなって感じました。
自分も可能な限りフラットな目で人と関わっていますが、どうもフィルターが入る時もしばしば。そんな時も人からの客観的な意見でフラットに立ち返っています。
先は長いけど、、、なんかワクワクしますね(^^)