媒介としてのコーヒー
カフェとひとえにいっても、さまざまなカフェがある。そのお店が「カフェ」の中のどの成分を抽出し、際立たせているのか、というところがそのお店の個性となる。
コーヒーが美味しい、居心地が良い、おしゃれ、ひとりになれる、ランチが美味しい、などなど。
すべてを網羅することは出来ないから、得意とする部分を伸ばし、必要ない部分はざっくりと切り捨てる必要がある。その伸ばした部分を特色とし「あのお店は〇〇のお店」と認識されるようになる。
美味しいケーキが食べたいときにはあのお店にいこう、ひとりでゆっくりしたいときにはこのお店にいこう、など。あとはお客さんが用途によって選んでくれる。
その中で、私が伸ばしていきたいと思っているカフェの成分は「媒介」だ。
コーヒーが、人と人の間に存在することで、そこでのコミュニケーションがスムーズになる。
「お店とお客さん」のみならず「お客さんとお客さん」の関係もゆるやかに構築する。コーヒーはそれを可能にするものだと思う。
それには、直接的なバトン渡しではなく、土壌を育てることが何より大事な気がする。人と人が関わりやすいような土壌を作った上で、行動は各々に委ねる。
コーヒー自体に価値をつけることも大事だけれど、人と人がゆるやかに関わるよう促すような働きをするものとして「美味しいコーヒー」を定義したい。
そんなようなことは、以前から思っていたのだけれど、先日読んだ「弱いロボット」という本が、その意識をより一層強くさせた。
ロボット工学といえば、より便利で画期的なものをつくり、時代をぐいぐいと前にすすめるようなイメージだが、あえて「ひとりでは完結しないロボット」をつくることで、人に手助けしてもらいながら人と人の媒介を図ることを提案していた。
ゴミ箱の形をしたロボットは、ひとりではゴミを拾えないけれど、だれかがゴミを拾って入れてくれればペコリとお辞儀をしててくてくとまた歩き出すようなロボット。「ゴミを拾う便利なロボット」ではないけれど、「人がゴミを拾いたくなるよう誘発を促すロボット」である。
他にも、「会話」が出来るわけではないけれど、コミュニケーションを促すようなロボット。直接ロボットが意味のある言葉を返してくれるわけではないけれど、人間の語りかけに喃語のようなもので答えたり、こくりと頷いたりする。そのロボットを通して眺めている人同士のコミュニケーションを誘発する。これらは赤ちゃんやペットの犬のような役割かもしれない。
ロボットが人をケアする、というよりは、人が人をケアする働きを促すロボット、といえるかもしれない。
コーヒーは人を受容し包み込む効果がある、とは思うけれど、「コーヒーという物質」だけがその役割を担っているとは思えない。コーヒーを通して淹れ手や作り手の存在、空間の許容を感じたときに包まれているような感覚を得ることが出来る。
何にも無ければ「他人」かもしれない隣に座っている人とも、コーヒーがあればコミュニケーションのきっかけになるかもしれない。少なくとも「同じ空間を共有する相手」ではある。
カフェ自体がすごい何かを生み出せるわけではないけれど、カフェが促したコミュニケーションが何かを生み出す可能性はある。
可能性としてのカフェ。媒介としてのコーヒー。
その土壌を育てるために、今週もいつものようにコーヒーを淹れていようと思います。弱いロボット、おすすめです。
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コメント4件
「行動デザイン」とか「ナッジ」といった考えにも近い気がする。
ここじゃなくてもコーヒーが美味しいお店は他にもあるかもしれない
例えば「スターバックスコーヒー」
でもスタバでよく見かける人がいても「こんにちは、今日も会いましたね♪」なんて声を掛けることはしない
嫌な顔をされるだろうし、たいして忙しくもないはずなのに「ちょっと忙しいんで…」とコミュニケーションを拒否されるのが必至だ
でも店主の見守るこの空間は別だ
この開放的で自由な空間は人の心まで穏やかで優しい気持ちにしてしまうのだろう
名前は知らないけれど、お店でよく出会う方と美味しいコーヒーを飲みながらお話しをする
そんな平和な世界がここにはある
この素晴らしい空間をありがとう