ひとりごと的なメモ書き
どんな仕事でも社会と接点がある限り、地域や国、ひいては世界の未来に大なり小なり作用している。「社会」とはそういう場所であり、「社会人」とは、そういう社会を構成する一員である。
一つ一つの仕事は小さなものだったとしても、それが集まって大きな矢印となることもある。右に行くことだってあるし、左に行くことだってある。
どんな仕事だったとしても、自分の「おくり出したもの」が社会に出ること。その「おくり出したもの」が、別の誰かに影響を与えること。その別の誰かが、また違う別の誰かに影響を与えること。それが連鎖するということ。その連鎖が社会をつくっている。
すごい影響力のある誰か、だけが社会に影響を及ぼすわけじゃない。社会を構成しているのは、ふつうの、平凡な、私たちのようなひとりひとりである。
そういうことをもっと、もっと、自覚して行動しないといけないのではないか、と思う。
それは堅苦しいことではなく、規範にがんじがらめになることでもなく、息苦しいことでもなく、もっとラフな「生命に正直であること」というカタチで意識しているだけでも、無意味ではないと思う。
本当に、それを良いと思って選択している?誰かの「正解」に惑わされていない?何のためにその言葉が放たれたのかを考えている?そんなことを、毎日毎日反芻する必要がある。
そして、仕事が社会に作用しているのと同様に「子どもを育てること」も、未来に作用していることだと思う。
責任を感じすぎる、ということでもなく、気負って教育しようとしすぎることでもなく「愛されること」と「愛すること」を伝えていくこと。それが、何よりも重要な任務である。
あらゆる論争の根源は、この辺りにあるのではないか、と思うことも少なくない。
未来を担っていく人たちが、愛を生み出して、贈り渡していけるように。それが「育てる」ということであり、同時に「育てられる」ということであるのかもしれない。
生きる、ということはそういった連鎖の中に放り込まれること。
生命に正直でないことは、いずれ歪みが出る。無理が生じる、ということはどこかに歪みがある、と思った方がいい。それをうやむやにしない方がいい。遅かれ早かれ、いい結果にはならない。
あなたが今、無理をしたその先に得られるものがあると信じたい気持ちもわかる。だけれど、問題はそこではないかもしれない。向き合うべき論点をずらしても、根本的解決はしない。
周辺環境を変えたら、友人を変えたら、職業を変えたら、何かが変わる。そう思いたい気持ちもわかる。けれど、本当にそうかな?問題は「外側」なのかな?と自問してみる必要があるのかもしれない。
本当に向き合うべきものは何なのか。見誤っていませんか。
と、いうひとりごと。
世の中には様々な仕事がある
飲食店等、お客様の反応が直ぐに返ってくる事もあれば、電気工事業みたいに、お客様から「ありがとう」って言って貰えるのは災害復旧工事が終わって何時間か振りに送電した時くらいで、普段はお客様との接点がほぼ無い仕事も沢山ある
どちらも無くてはならないお仕事、やりがいが有ればそれでよし!
子育ての悩みを解決してくれる的な本は無数に出ているが、親子の数だけ育て方が有る訳で、どれが正解とかは無いんだよね
自分を愛し、他の全てを愛する事が素晴らしい事だと伝えられたら、その子育ては正解なのでしょう
最近、毎日目にするお気に入りの言葉がある
“HELP EVER HURT NEVER”(常に助け決して傷つけない)と、”LOVE ALL SERVE ALL”(すべてを愛し、すべてに仕えよ)だ
“すべてを愛し”の”すべて”には自分も含まれます
自分から誰かを許して
自分から誰かの幸せを祈って
自分から誰かを愛して
自分から幸せの輪を広げて
自分らしく素直に生きる
この様な生き方が出来たら良いなと思うのです
本当に自分が向き合うべきは”自分自身”なのでしょう