隙間のすすめ
先週は、金土とお店を休んで東京研修にいってきました。
行ってみたかったお店を回って、コーヒーを飲み(ときどき違うものも飲んだりしながら)久しぶりに人の多い主要駅に圧倒され、地下鉄の突風と独特の匂いに懐かしさと息苦しさを感じながら。
刺激的でとっても楽しかったです。
都会のど真ん中で毎回思うことは、圧倒的に「隙間」が少ないということ。
物理的な隙間は、看板で埋め尽くされ、次から次へとやってくる電車が、時間の隙間を埋め、人の音や交通の音が耳を埋め、つねにせまってくる選択肢が脳の隙間を埋めていく。
普段、山という隙間しかないような、なにもないことがデフォルトであるような場所での生活に慣れてしまうと、その圧の強さに窒息しそうになる。この中でみんな戦っているなんて、、すごい、、
大都会はきっとそういうところで、その中で一生懸命頑張っている人たちに、尊敬の念を抱く。
隙間をなにかで埋めるのでななく、隙間を隙間のままに守っていられるようなことをしたい。カフェにはその可能性がある。
人と人との隙間も、価値観のズレという隙間も、瞬発的には価値をうまない空間の隙間も、時間の隙間も、思考の隙間も、感じかたの隙間も。
本当は、ルールや規範にだって隙間があった方がいい。それはなかなか難しいことも多いけれど、ほんのすこしづつの隙間があったほうが物事はスムーズに進む気がする。
東京は、ついつい行きたいところがありすぎて、隙間なく予定を立ててしまおうとする。私が一番隙間ない。隙間は、意図的にとらないと、無意識だと塗りつぶされてしまうのかもしれない。
あぁ、余裕のある人間になりたい。
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コメント6件
写真は浅草?
確かに大都会は目から入ってくる情報も、耳から入ってくる情報も隙間が少なそうだ
機械も人間も少し隙間(遊び)があった方がスムーズで調子が良いのかもね
と、隙間だらけの中で生きている人間が言ってみるʬ
僕も余裕のある人間になりたいです。つい色んなことを忙しなく考えてします。