気配の察知
飲み慣れた、自分で淹れたカフェラテが「あれ?」と思う日がある。その「あれ?」はいい意味で、いつもより美味しいと感じた日。
私はその日を「秋のはじまり」と呼んでいる。
たまたま美味しく淹れれたんじゃないの?とか、たまたま飲みたい気分だったからじゃないの?とか、諸説あるけれど。何千回も淹れてきた、いつもと同じようにみえるカフェラテが、「昨日とはまったく別物」になるのだから、それはもう劇的に違うのだから、あれはもう季節が変わったとしか思えない。うん、そう、絶対そう。あれは秋のはじまりのカフェラテだ。
キンモクセイの匂いがふっとした時に、その季節を感じるように、物事には「あ、変わった」と思う瞬間がある。
湯気の立ち昇りに、うっかり見惚れてしまったら、それは冬の到来。
小屋の外に出て日差しに幸福を感じたら、それは春の訪れ。
コロナの時も、「あ、空気が変わった」というターニングポイントのような日がいくつかあった。昨日までの気配とまるで違う。そういう日が時々ある。
同じ場所で、同じテンションで、定点観測のようなものをしていると空気の揺れには繊細になる気がする。何かを一定に保っていないと、観測ができない。だから、私にとっては、それが日々のリズムなのだと思う。日々を一定のリズムで刻む中で、測れないものをはかっているのかもしれない。
駅前での営業が、街の空気や表情、暮らしている人の心地よさなど「街の、測れないものをはかっている」という感覚だとしたら、今工事しているBルートは「あなたの、測れないものをはかってみては」という提案かもしれない。
いま何を感じて、何を思いましたか。昨日のあなたと、今日のあなたは、何が違いますか。
同じ場所で、同じテンションで、向き合う対象をあなた自身にする。そういう場所になったらいいなあと思っている。
いつもの人が、ちょっと元気がなかったような気がしたり、疲れているかもしれないと思うことがある。「いつもと違うかもしれない」と感じることがある。私たちの勘違いということもあるかもしれないし、ただちょっとそういう気分の日、というだけかもしれない。
「最近どう?」と聞いてみたり、そうっと見守ったりする。大丈夫かな、と思いながらコーヒーに託す。パッと会った時に”今日のその人のその感じ”を感じられるように、自分たちは一定のテンションで、一定のリズムを刻めたらいいのだけれど。どうしても、体調やメンタルが揺らぐ時もある。
まだまだ修行途中の身。何年経っても修行の身。
こんなに楽しい修行ならば、生涯していたいな、とも思う。
今日のあなたは、どんな感じですか。いつもと同じものを見て、別のことを感じることはありますか。その時、あなたの中の、何が変化して、そうなっていますか。
そういうことを、感じてみようというきっかけを提案したい。そんな思いでBルート進行中です。
季節を感じられる事の幸せ
今年も秋が短く、あっという間に冬になってしまうのだろうか
何かを観測するには、観測する側が一定の基準の精度を保っていなければならないんですね
ブレブレの私には何も測れないと思う
Bルート、いろいろ楽しみですね