内向と外向

駅前のSTREET COFFEE&BOOKSと、樹木荘のROJI COFFEE&BOOKSは、両極端といっていいほど雰囲気が異なる。
どちらかを気に入ってくれて、では今度は別の方に、、となるとびっくりされることが多い。(同じ人間がやっている、とは思えず自分でもびっくりする)
本店、2号店、などといってもらうこともあるけれど、まったくの別物と思ってもらったほうがいいような気がする。
駅前は”人との交流やコミュニケーション、流動的で軽やか”というイメージが強く、お客さん同士が言葉を交わしながら和気あいあいとしている。人に重きを置いていて、ちっちゃい子も、おじいちゃんもおばあちゃんも、サラリーマンも、地元の人も出張の人も、いろんな人がいる。人と人が関わり合いながら場が形成されていくことを願いながら、”街にあるべき風景”でありたいと、日々営業している。
一方、露地は”自然との交流や非言語コミュニケーション、静的でじっくり”という時間が流れている。個々でじっくり自分と対話したり、心を整えるような雰囲気。樹木や季節の花、風や太陽など”自然”に重きを置いていて、人間も自然の一部だと捉える。どちらかといえば、独りの時間を好む人に向いている。日々に疲れたときや、情報過多から抜け出して五感を味わいたいときにとってもおすすめの場所。
内向的、外向的という単語をあてはめるとするならば、駅前は外向を求めるときに、露地は内向を欲するときにとてもいい。
「街の真ん中には、他者と交流できるようなオープンスペースが必要だ」という移動販売を始めたときからの思いは変わらず、「でも、そういうときばっかりじゃないし、疲れちゃったときには断つ場所も必要だよね」ということで、どちらも必要な要素だと思っている。
個人的な話をすると、私は、基本的にはとっても内向的な性質を持っている。ひとりで充電する時間が必須で、大勢でのコミュニケーションより、一人の人とじっくりと言葉を交わすことが楽しいと感じる。大きな刺激は不要で、日々の小さな出来事を面白がるほうが心地よい。
ただ、私の場合は、そういう性質を持っているとはいえ、そればかりになるとバランスが崩れ、日々の生活に支障をきたす。(検証済み)
どちらか、ではなく、どちらも、きっと必要。
外向的な素質を持っている人は、人との関わりやコミュニケーションでストレスを軽減できるような気がするし、内向的な素質を持っている人は、内観の時間や刺激の少ない穏やかな空間でストレスを減らせるような気がする。
身体の調子や欲しているもので選んでもらえると、とってもいいかもしれない。
そして、一見、両極端ではあるけれど、そのどちらも根本はひとつ。
「平和な世界をつくるにはどうしたらいい?」
その問いかけへの、自分の解を模索している、ということなのだと思う。
自分とはまったく異なる性質のようにみえているものも、根っこは同じものを共有しているのかもしれない。
分断された社会で、その視点を持っておくことはとても大事なことのような気がする。








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