にもかかわらず、笑うこと

寒すぎて、冷蔵庫にエラー表示が出ていた。
外気温より、冷蔵庫の設定温度が高くなってしまうために起こるらしい。
”外気温が低く、冷蔵庫が冷えすぎてしまう場合、暖房などをつけて外気温を上げてください”とのこと。
ものを冷やすための冷蔵庫に、ファンヒーターで熱をあてる。
なんじゃこりゃ。滑稽な風景におもわず笑ってしまう。
夏場には冷えなくて、冬場には冷えすぎてしまう。
外気温との差に一番やられているのはいつも冷蔵庫で、見かけによらない繊細さがなんとも憎めない。
人間は、想定外の何かが起きたとき、笑うことができる。
「にもかかわらず、笑うこと」それをユーモアという。
ユーモアの視点でみると、世の中のだいたいのことが面白い。
豪雨も、寒さも、暑さも、解読不能なものごとも、だいたいのことが笑える。世界はおもしろさで溢れてる。
資本主義、効率化しすぎることで失うもののひとつは、ユーモアではないかと思う。
コスパを追求しはじめると、人は不機嫌になっていく。”遊び”や”余白”は削ぎ落とされ、意味のあること、自分にとっての利益を生むことだけが重要視されていく。心に余裕がなくなる。
よって、他者の振る舞いにも、寛大になれない気がする。
いきすぎた資本主義は、人の感情にも介入しはじめる。
資本主義が悪いわけじゃない。
盲信しすぎない心持ちが必要なだけ。
真っ黒も真っ白もない世界で、両輪をバランスよく乗りこなすことは体力がいるけれど、それがおもしろさでもあるのかもしれない。
世界はとっくにユーモアで溢れている。









本来、コスパやタイパを追求する理由は、それによって生まれた「余裕」を、好きなことのために気前よく使うためだったはず。この「無駄遣い」こそが、実は一番豊かな行為だと思います。
ただ、真面目な人ほど、手段であるはずのコスパやタイパそのものが目的化して余裕が削られていく。それなりに効率化できていても、なぜか常に忙しく、満たされない。
余裕をつくる方法は効率を突き詰めることだけではないと思います。
一つは「満腹の定義を変える」こと。定義が変わると、余裕もユーモアも寛容さも、外から手に入れるのではなく、内側から立ち上がってくるんじゃないかと。