ルールについて考える

ルールが多い環境が、どうにも息苦しい。

あれやこれやと細かく定められたルールを前にすると、くるりと回れ右をして帰りたくなる。

制定する側の心苦しさを承知した上で、それでもやっぱり、ルールは最低限がいいな、と思う。自分がその規定からはみ出していようがいなかろうが、禁止事項を目にすることは、なるべく避けたい。それだけで、げんなりとしてしまうから。

駅前にいると、「ルールがどうやって出来上がっていくのか」という過程を至るところで間近に見れるので、とても興味深く、面白かったりもする。

最近では”ルールには2種類あるのではないか”と思えてきている。

1つ目は、適用される範囲の人間みんなで考えたルール。

困りごとがあった時に「どうしたらいいか」をみんなで考え、最善は何かを決めたルール。それには、それが適用される人たちみんなの”納得”がベースにあり、本意ではない人がいたとしても”仕方がない”とある程度は許容している状態。

民主主義的なルールと言えるかもしれない。

2つ目は、誰かの意見を正当化させるためのルール。

自分の主張を”正しいもの”にするために、自分の主張の後ろ盾としてルールを制定する。そこには、適用される人の納得があるわけではない。本来、絶対的な”正しい”なんていうものはないはずだけれど、ルールさえあればそれにはみ出したことは”正しくないこと”として非難できる。

独裁的なルールとも言える。

お店や、個人の管理している「私」の部分であれば、いくら独裁的なルールを定めようが構わない。守る人以外は、来てもらわなくていい。納得した人だけ、来てくれたらいい。それだって、その場所の特色として必要なことでもあり、そもそもブランディングとはそういうことでもある。

お店であれば、人気が出すぎて困ってしまった時に、制御するという役割も担っている。それも大切なこと。

難しいのは「公」の部分だ。このルールは正当性があって、このルールは独裁的、なんていうものをはっきりと線引きするのは難しい。物は言いよう、独裁的なルールだっていくらでも正当性を持たすことができる。規模が大きくなれば、みんなで相談することはそもそも難しい。全員が納得することもほぼ無いだろう。

反対に、感じ方や考え方が違ってしまえば、民主主義的に決めたルールにも独裁的なものを感じてしまうこともある。いくら俯瞰で見ようとしたところで、主観を抜け切ることはできない。

そもそも、その場所や自分の存在を「私的なもの」としておいているのか「公的なもの」としておいているのか、という違いもあるはずだ。

私にとっては、街につながっているお店、店主は「半分公的なもの」と認識しているが、そんなふうには思わない人がほとんどかもしれない。それはもう、根本的な価値観であるから、正しいとか正しくないとか、という問題でもない。

STREET COFFEE&BOOKSには、お客さんに対するルールはほぼない。一つだけあるとすれば、「その時、その場にいる人を尊重する」ということ。これも言語化してお願いしているわけではないから、自分たちの姿勢を見て感じてもらうしかない。伝えるにも、伝わるにも、時間がかかる。ときどき、ルールがないばかりに混沌とすることもある。もう、それも一緒に楽しむしかない。(そういえるのも、半分パブリックなありがたい場所で営業させてもらっているからである)

働いている自分たちに対するルールも、一つだけ。「目の前の人を尊重する。そして、自分の気持ちも尊重する」

”自分の気持ちも尊重する”それは案外抜けがちで、でも、とても大切で。それが蔑ろになってしまうと”末長く続ける”ということが難しくなるような気がしている。そして、それは結果的に、目の前の人も尊重できない事態になり得る。

よくわからないルールに対していちいち「どうしてそのルールが出来上がったのか」「深層にはどういう目的があるのか」「本当に必要なのか」ということを声に出してしまう性格は、たぶん無駄が多い。ルールだから仕方がないね、とすぐに言えれば早いし楽なのだけれど。

「目の前の人を尊重すること」が、どの場所でも立場でもみんなができるようになれば、公共の中にある窮屈なルールもほんの少しは減らせるんじゃない?と思っていて、それをお店を通して立証したいのかもしれない。

世の中のルールは、自分たち次第で減らせるんじゃないか。

この先どんどん細かなルールが積み上がっていって、それに窒息する前に、生きやすい未来を作らなきゃいけない。

2023年10月23日 | Posted in お店のこと, ブログ, 私の生き方 | | 2 Comments » 

関連記事

コメント2件

  • 松島 馨 より:

    ルールといえば、ひと昔前の校則など「こんな事まで?」ってくらい細かく決められていたが、最近になって防寒具を着てきても良いとか、靴や靴下の色も一色のみでなくなったり生徒に寄り添った形になっているね

    交通ルールにしてもそう、横断歩道は歩行者優先はわかるけれど、横断者が車のドライバーに「先に行って」と手で合図して、ドライバーがそれに従って横断歩道を通り過ぎるとドライバーは警察官による取り締まりを受ける(ドライブレコーダーに証拠がありキップを切られなかった場合もある【ドライブレコーダー無ければ】警察官の言いなりでキップ切られるんよね)

    なんにせよ実情に合ったルール、納得感の有る気持ちよく受け入れられるルールなら、それほど窮屈でなく受け入れられそうだ

    • NOZOMI より:

      松島さん

      しょうがないとわかっているのだけれど、無茶苦茶なルールに感じてしまうと、どうしても反骨精神が、、笑
      従いながらも「なんでだろう?」って疑問に思うことは悪いことではない気がします^^

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です