ただ、生きる
あの人、元気かなあ。元気だといいなあ。
生きていてくれたらいい。もし、笑っていてくれたら、穏やかに過ごせることが出来ていたら、どこかで元気にしていてくれたら、、、
日々、ふとしたときに、久しく会っていないお客さんの顔が思い浮かぶ。
「引っ越すけど、いつか、また来るね」「仕事に復帰することになったから、しばらく来れないけど、、」「遠い土地で挑戦してくる」そういう言葉で括られたもの、そうではないもの、いろんなものがある。
「いってらっしゃい。またね。」
なにかに躓いてしまったとき、”休憩”を必要としているとき、どうしたらいいかわからないとき。
コーヒーはその時間をそっと包む。そう思っている。
本当は、人間は、ただ、生きているだけでいい。
立派なことをしなくても、何かを成し遂げなくても、一生懸命になれなくても、ただ、生きていればいい。
植物も、昆虫も、動物も、微生物も、きっと、何かを成し遂げようとはしていない。自分の生命を淡々と維持してる。その生命活動のなかで必然的に循環が起こり、誰かからの恩恵を受けたり、反対に誰かの役に立っていることがある。
それは、”結果的にそうなっている”というだけだ。
それを目的にしようとしすぎると、歪むものもある。
自分の持って生まれた性質に従い、無理をせずに、ただ生きていく。
そのことが、”結果的に”誰かにとっての木陰になるかもしれないし、誰かにとっての酸素になるかもしれないし、誰かにとっての養分になるかもしれない。
もしかしたら、ならないかもしれない。それはわからない。結果は、あらかじめ決めていない。
どうなるのかを、知りたい。
ただ、生きていればいい。
自分の生まれ持ったものに従い、健やかに生きる。
それでも、きっと、誰かにとって、地域にとって、社会にとって、何かを循環させている。
そのことを自分たちが実践する。どうなるのか、実験する。
樹木荘は、成長至上資本主義に抗う。
人を消耗させ、消耗した分を補うかのように過剰に摂取させる仕組みに。
食べ物も、物品も、価値も、不安も、必要以上に押し付けてくる社会に。
風の音と、太陽の光を浴びながら、静かに中指を立てる。
関連記事
コメント4件
“休憩”出来る空間をありがとう
もう少しだけ休憩させてくださいね
頑張って…いや、”イイ感じ”に生きていこう
見た目は、静かに優しく微笑みながら。
っていう感じが目に浮かびます(笑)