虫唾の美
日曜日、樹木荘の裏側で土いじりしていると、大きなムカデが出てきた。
なかなかに大きなムカデで、15センチくらいの体を左右にくねらせて、何十本もある足を器用に動かしながらクネクネと壁を登っていく。
なんて奇妙で美しいのだろう。思わず見入ってしまった。
断言しておきたいのは、私は決して”虫好き”ではないということ。怖いとも思うし、気持ちが悪いと思う。近くに来たらそうっと対処する、もしくは危険そうな場合は静かに離れる。
決して好きではない。できれば触りたくはない。
けれど、”気持ち悪さ”を一旦少し横に置いて観察してみると、意外にも”美しさ”が見えてくる。等間隔で並んだたくさんの足を、器用にも別々のタイミングで動かし、すごいスピードで動くことができる。
もし、彼が自分の身体を這ったのなら、さぞゾワゾワとするのだろうなあ、、などと想像しながら、土を掘り起こして住処を荒らしてしまったことを詫びる。
私には、昔からこういう節がある。
”うわあ”と思ったものに対して、観察して、もうちょっと見ていたい、と思うようなところが。
”苦手かもしれない”と思う人に対して、”何がどう苦手なのか”を知りたいあまり、自ら突っ込んでいくようなところが。
苦手、ということは”相手の中の何かの分子”と”自分の中の何かの分子”が、反応している、ということである。じっくり観察して”この人の何の分子が苦手なのか”を探っていくこと。それはつまり、自分の中に、それを受け付けられない分子がある、ということの発見でもある。
それは、自分の持っている素質を一つ知ることができる、ということでもある。
苦手なものはなるべく見ないようにする、というのがひとつの生存方法なのだとしたら、
苦手なものをなるべく見て、分解して、自己理解につなげる、というのも、また、ひとつの生存方法なのかもしれない。
そうして深堀していくと、結局、苦手だと思った相手が悪いわけじゃない、と知ることができる。
私にとっては”苦手”である部分も、私の中にそれに反応してしまう分子があるから”苦手”と思ってしまうだけであって、別にそれは”相手が悪い”ということではないし、なんなら自分の内側のことを一つ教えてくれたその人に有り難さすら湧いてくる。
強く反応してしまうことには、それなりの理由があり、それは自分にとってのウィークポイントであると同時に強みを知る鍵にもなる。
苦手なものをじーっと見つめる。けっこうおもしろいので、おすすめです。
おぉ、ムカデにバッタリ!咬まれなくて良かったですね
十数年前、家で夜寝ている時に顔の上を這っていたムカデを手で払い除けたら腕を咬まれて腫れた事がありますʬ
ムカデってツヤツヤの紫や紺や黄色のグラデーションが綺麗なんで鑑賞用に飼ってる人もいますね
苦手な人→自分自身かもしれない
自分自身を良く知る事で「苦手な人」から「愛しい人」へ変えていけたらな