非戦創祭
先週末は、橋の下世界音楽祭でした。
橋の下世界音楽祭、私はとっても大好きでこの季節になるとわくわくしてきます。
豊田大橋の橋の下が、日常では想像もつかないような世界になる。
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”この橋の下世界音楽祭は強いて言うなら実写版ペンギン村。様々な絶滅種の人間の宝庫であります。様々な人を見て育った子供は寛容に育ちます。寛容で豊かな世界を目指します。はみ出すことを恐れ、同調と窮屈で画一的な顔のない世界に対し、至って平和的かつ無限の創造性、音楽と表現とユーモアを持ってここにヒラリと叛旗を翻し皆さんの心を解放させていただきます。橋の下では橋の上での地位も冠も関係ありません。有るのは役割だけ。”
”役に立たないような小さくヘンテコな生物だって何かしらの役目があります。”
_2022年「祭開催声明」HPより引用__
橋の下では、地位も名誉も関係ない。全員おなじ、ただの人。あるのは役割だけ。自分で、自分の役割をつくる。見つける。”お客さん”ではなく、みんなでつくる。協賛をすることも、設営を手伝うことも、草刈りをすることも、落ちているゴミを一つ拾うことも”役割”の一つ。
自分にできることを、各々が考えて、自分にできる役割をする。それが自治するということ。
ここにいられることに敬意を持って、自分には何ができるかを考える。
これって、日常生活でも、とっても大切なことをいっている。その意識がなくなっていきつつあるのが今の社会であり、その意識を削いでいくのが資本主義の構造なのではないか、と。
その先にあるのは、金銭のみが価値基準になった世界。それでいいのか、それは豊かな世界といえるのか。
笑顔でいること。通った人に挨拶をすること。落ちているゴミを拾うこと。困っていそうな人がいないか気にかけること。自分にできる役割を、自分にできることを考え続けること。
助けて欲しい時に、助けて欲しいと伝えること。それだって、役割のひとつ。
それは、おなじように苦しんでいる人の苦しみを、世界に伝えてあげることかもしれない。
どんな人にだって、役割がある。わからないなら、つくっちゃえばいい。
役に立たないような小さくヘンテコな生物だって何かしらの役目があります。
とても楽しい【祭り】でしたね
ルールにがんじがらめにならなくとも、皆んなの意識一つであれだけ自由に過ごす事が出来るのですね
皆んなで作り上げた祭り
何年も何十年もずっと続くと良いですね