”あたたかい”のこと
すこーし寒くなってきた日に、ぽかぽかした太陽をからだに浴びるとき、なんて幸せなのだろう、と思う。
ぽかぽか、ぬくぬく。暑い、じゃなくて、あたたかい。
たぶん、わたしはあたたかい、が好きすぎる。
あたたかいフェチかもしれない。
あたたかい、というのは、とってもいい。
想起されるのは、オレンジ色を中心とした暖色で、思わず包みたい、というか、もふもふしたい、というか、吸い寄せられるような感じがして、そこにはなんとなく”生”の気配がして、エネルギーを放出しているような感じがする。
安心感があって、緊張感はほどけて、委ねてもいいといわれているかのような、思わず気の抜けちゃうような、ゆるんでしまうような、そういう感じ。
それはときどき、人からも滲み出ていたりして、場所からも染み出したりしている。
穏やかで大きくて静かで、生命の恒常的な働きのようなものでもある。
突発的なものではなく、刺激的なものでもなく、常にあるもの、みたいな。
地味で、心地よくて、当たり前かのようにいつもあって、普段は意識にものぼらないような、でもずっと見守っているような、そういう”気”みたいな。
そういう場所をみつけたとき、そういうものに触れたとき、それを意識したとき、そこには愛のようなものがある気がする。
それは誰にでも同じように降り注いでいて、受け取っても受け取らなくてもよくって、もうすでにその辺にたくさん漂っている。
見ようとしても見えなくて、聞こうとしても聞こえなくて、肌で感じる気配、みたいな。
そういう気配自体になりたい。いや、そういう気配はもうすでにたくさん充満しているのだから、それを可視化したい。わたしが生み出す、というよりは、もうすでに世界中にあるその、愛にようなものを、両手に掬って「こんなにあるね!」って、一緒に眺めたい。
それがわたしにとってのコーヒーを淹れる、ということなのかもしれない。
冬は、あったかい、がいっぱい。だから、けっこう、好きかもしれない。
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コメント4件
「あたたかい」については仕事柄、けっこう勉強してます!
あたたかさというと”享受する”という感覚を持つのが一般的だと思いますが、人間(恒温動物)は体内で熱を作って、常に放出しながら生きているので、「ちょうどよい暖かさ」とは「ちょうどよく熱が放出されている状態」で、放出され過ぎると寒く感じて、思うように放出できないと暑く感じます。これは夏も同様。どのくらい熱を放出できるかは室温(外気温)や衣服、運動量で左右されるので、これらを調整することで「ちょうどよい状態」を作り上げます。
と、理科っぽく言うとこうなりますが、
「そこにはなんとなく”生”の気配がして、エネルギーを放出しているような感じがする」
「委ねてもいいといわれているかのような、思わず気の抜けちゃうような、ゆるんでしまうような」
「人からも滲み出ていたりして」
そして
「生命の恒常的な働きのようなものでもある」
なんて、理科的な説明よりわかりやすいなぁ、と思いました。さすが!
ところで「モモ」読みました!
あれが50年前に書かれてたなんて凄すぎますね。
ミヒャエル・エンデも凄いし、その通りになっちゃった人間社会も別の意味でスゴイ・・・
いつかモモについて一緒に話してみたい!
自販機のホットドリンクの表記は「あたたか〜い」や「あったか〜い」になっている事が多い
「あたたかい」や「あったかい」の上級の「あたたかさ」の表現なのだろうか
春の「あたたかさ」よりも寒い時期の室内の窓辺や車の中(特に助手席)の「あたたかさ」は異常
ぼ〜っとして目を閉じたらすぐに眠れるʬ
世の中の「あたたかい」人の側、「あたたかい」場所に居られるとが休まり安心できるし居心地が良い
「あたたかさ」の可視化、面白い
心の眼では見えているのかもしれませんよ