空気の味

いい空気、新鮮な空気、心地よい空気、どよんとした空気、湿っぽい空気、灰色の空気。
空気を感じるのは楽しい。
先日ひさしぶりに地下鉄に乗って、地下鉄の空気を味わった。空気には色もあるし味もある。
地下鉄の空気は、やっぱり地下鉄の味がした。
駅前のお店にいると感じるのは、日ごとに駅前の空気がけっこう違うということ。
晴れていても、重めの空気の時もある。悲壮感のあるニュースのあった日などは、何か違和感のある空気が流れる。
(いや、でも、もしかしたら私の状態が反映されちゃっている可能性もある。自分の体調によって、多少感じ方は変わってくるかもしれない。)
鮮やかで爽やかな空気をつくるのは、たとえば山頂のような物理的な空気自体でもあるけれど、そこに存在している”人”も大きく関係する。
だれがどんな顔をして歩いているのか、どんな風に過ごしているのか、どんな人がいるのか。
重くてどんよりとした地下鉄に、女子高生の楽しそうな話し声が聞こえて、途端に空気が軽くなったのはきっと気のせいではない。「また明日ね〜!バイバイ!」と言い合う声が、灰色の空気を黄色い空気に変換した瞬間を肌が察知する。
もし、そこに存在する人たちの言動や表情、話し声や笑い声が、その場所の空気をつくるのだとしたら、自分たちの仕事は、街の空気をつくるということに大きく関わる。
コーヒーを美味しく淹れることはもちろんだけれど、そこからじんわりと広がりをもって、街の空気を心地よく出来たら、と思う。
直接視覚に捉えたり、聞こえたりすることだけでなく、コーヒーをテイクアウトして、美味しくて歩きながら顔が綻んだとしたら、それをみた人が、また心地よい気持ちになるかもしれない。誰かのハッピーがまた別の誰かのハッピーに関与するかもしれない。
毎日の、街の空気を味わいたい。
だから、今までも、これからも、隔たりのない空間でコーヒーを淹れていたいのだな、と思う。
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コメント4件
昼も夜も駅前のスタンドが見えてくると、そこは暖色のイメージ。
すっかり居心地の良さを感じさせてもらえているのはそういう温かい空気を
作ろうとされている方々のおかげなのだろうなとしみじみ思うわけです。
空気の味。面白いですね。
味ではないけれど、全く同じ環境で使用しているのに気が進まないメールを
書いている時のキーボードの荷重ときたら。
気分が乗っているときには羽でも生えたかのように軽やかに「カタカタカタ…ッターン」と
次から次に画面に文字が表れるというのに。
ようやく周りを見る余裕が少し生まれて、駅前や樹木荘に並ぶ書籍のタイトルを見て
多様性とか他者に寛容であるとはとか色々考えたりしてます。
そう、空気の違いはある!
「神社の鳥居をくぐり抜けると違う」とか、他にも多分たくさんあるんだと思う
人間や動物、植物、石や水、その他全ての物質、光や影もその場の空気を作っているのだろう
駅前が居心地が良いのは「良い空気」がそこにあるからなのだろう