バレンタイン論争
バレンタインに対する、社会の意識が大幅に変わっていたことを身をもって体感してしまった。
2年間、社会から離れていて今さら気付いたのだった。
オフィスなどでの義務的なチョコレートの配布はほとんどされなくなっており、反対に「自分へのご褒美チョコ」なるものが大変な賑わい。(何年も前から)
男性に至っては、バレンタインということを忘れていることも多く、もらってしまったとなると嬉しい気もしないでもない、が「やや迷惑」なこともあるらしい。
ホワイトデーなるものが存在していなかったら、もしかしたら「やや迷惑」でもないのかもしれない。「お返し」という存在が頭をかすめると途端に純粋に喜べなくなってしまうのかもしれない。
なんとも複雑なイベントだ。
複雑なイベントではあるのだけれど、なくなってしまうのはやはり寂しい。なぜなら、バレンタインが近くなると日頃の感謝を伝えたい相手の顔が思い浮かんでくるから。こんな機会はなかなかない。
それに、心を込めて作ってきてくれたお菓子を女性のお客様からもらった時は、たまらなく嬉しい。近所の女の子が作ってくれたチョコを見ていると癒される。
選んだり、作ったりしてくれている時間を思うと、きゅんとする。
贈り物がいけないのではなく、やっつけ仕事にしてしまうことが温度の低下を引き起こすのだ。
私にできることはなんだろう。来年のバレンタインデーは「言葉を贈ろう」みたいな、もらった側の負荷にならないような贈り物を用意できたらいいな。
仕事帰りに、コンビニに寄ったら会計の後にガサッとアルファベットチョコの入ったボックスを差し出された。
「バレンタインなのでおひとつどうぞ」という言葉に、微妙な笑みで「あ、ありがとう」と返しながら、寂しいような佗しいような複雑な気持ちが沸き起こる。
誰も悪くない。むしろちょっとした優しさのはずなのだけれど。
男性も男性で、けっこう大変だったのだなあ。
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