5月某日の戯言
3度目の緊急事態宣言の発令に伴い、お酒が販売できなくなるらしい。
お酒をメインに扱っているお店のことを思うと、なんとも言えない心境になる。
根拠のないことを、さも意味のあることのように仕立て上げることに、1年も経てばいい加減に辟易する。個人や会社は、自分の身を守るべくあらゆる手を尽くすべきだろう。誰も守ってくれない、ということはこの1年で嫌というほど思い知った。
だけれど、政府やトップが保身のために「やってますよ感」を出すために、というのは如何なものか。最大限の努力をして頑張ったんですけど出来ませんでしたオリンピック、でも出来ることはすべてやったので私たちのせいではありませんって言おう感、が滲み出てしまっているような気がしてならない。県や市だって「やってますよ感」を出さなければ、何を言われるかわからないのだから、必死で「やってます感」を提供している。その皺寄せは何処へ。
実際に「意味のあることは」はもちろんやるべきなのだけれど、どう考えても違うよね?ということを大真面目にいつまですればいいのか。と、つぶやいたところで何も状況は変わらないので、これまで通りいつもの営業を続けます。要請により「お酒の持ち込み禁止」と「会話時のマスク着用」をお店のどこかに記載する予定です。見つけてみてね☆!
そういえば、ちょっと前にお客さんに「もし、コーヒーを提供できない未来」が来るとしたら、どうする?と聞かれたことがある。笑いながら「いやいや、そんなことないでしょ〜!考えられないですね!」と答えたのだけれど、今回のバーや飲み屋の「酒類禁止」は、これが現実になってしまったかのような出来事である。
コーヒーを飲むと会話が弾んで、飛沫が広がるんです!和やかな人の輪が密になるんです!長時間の滞在になりかねない!コーヒーは悪です!みたいなことを某トップが万が一言い出したとしたら。(妄想の範疇で言ってます)
ある日突然、1か月間、コーヒーが提供できないルールになってしまったら、他のものを売るのか。それとも営業しない、という判断をするのか。コーヒーの提供を自粛してください、という日が来たら。
それでも、お店の扉は開けていたいなあと思う。何にも売らなくても。営業はしていなくても。会話はしなくても。街に灯りが一つもないのは、やっぱりちょっと違う。
そういえば、1年前にもそんなことをインスタグラムに書いた気がする。1年経っても、何にも変われていないのは私の方かもしれない。
兎にも角にも、明日からもこれまで通りの感じで営業してます。よろしくお願い致します。
風景の一部だから
居るだけでいいと思います。