違和感の手ざわり
「センスとは、違和感に気付くこと」ある本を読んでいたら書いてあったその言葉に、なるほど、、と思わず頷く。
「違和感」・・・しっくりこないこと。調和のとれていないこと。チグハグであること。馴染んでいないこと。
センスがいい、というと「スタンダード」にプラスαした何かが備わっているようなイメージだったけれど、付加ではなく俯瞰なのかもしれない。一歩下がって、全体を見る。違和感がある箇所を整える。大きな何かを付け加えるのではなく、小さな違和感に一つずつ気付いていく。
ファッションや、アートであれば、イメージがつきやすい。絵を描く人が、ときどき一歩下がって全体のバランスを見ている様子はすぐに思い浮かぶ。
ファッショやアートのようにイメージがつきやすい訳ではないけれど、対人関係や、生きることにおいての「センス」というのも、この「違和感」というグレーの綿菓子のようなものが鍵を握っているのではないか、と思う。
違和感があることに、気付かない。もしくは違和感があることに気付いてはいるけれど、気のせいとしてなかったことにする。そういった小さなひとつひとつは内側から自分を蝕んでいく。
もやもやしたままでも、大丈夫な人はそのままでもいいのかもしれない。「そのままの状態で寝かせられる人」は、それでもいいのかもしれない。寝かせておいたソレは、いつの日か醸造され、別のものを生み出す可能性がある。発酵していくのか、腐敗していくのか。どうなっていくのかは、それを取り巻く環境によりけり。
話をしていて、何かがおかしいなと感じる。仕事をしていて、何かがおかしいなと感じる。行動が、言動が、しっくりこない。何かがおかしいな、と思った時は大体気のせいなんかではなく、きっと何かがおかしい。
何かがおかしい、の「何か」はなんなのか。できれば丁寧に紐解いていったほうがいい。解決はしなくても、言語化したほうがいい。「もやもやしたよくわからないもの」から、「こんな形をした、こういう素材でできたもの」にしておいたほうがいい。
自分の違和感を、もっと信じていい。
なんか、変だよね。なんか、しっくりこないよね。なんか、違うよね。そういう会話ができる人が、近くにいたほうがいい。解決はできなくても、吐き出すこと。それは言語化することでもある。
もし、近くに吐き出せそうな人が見当たらなければ。私でよければあなたの違和感の形を一緒に眺めてみたいな、と思っています。
#違和感収集
ここのところ、コーヒーのことでもなく、本のことでもなく、「ひと」のことしか書いていない気がする。コーヒーを通して伝えきれなかったもの、お店で伝えきれなかったもの、そういったものを補う役割として、書いているのかもしれない。
コーヒーが美味しいこと、コーヒーという液体が美しいこと、本をめくる手触り、屋外の解放された気持ちよさ、は、お店で体験して貰えばいい。自分の感性で何かを感じて貰えばいい。そこですべて伝えたいことを表現できたら一番いいのだけれど。もっと中側の、もっと芯の、もっと見えづらい部分を伝える手段として、私は言葉を使っている。補うための言葉。
売るための言葉ではない。煽るための言葉でもない。補うための言葉。
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。そんなこんなで、今週も一週間、頑張りましょ〜◎
小さな違和感に気づいてもやり過ごして、後になって「あの時の違和感をスルーしなければよかった・・」と思うことがたまにあります。気づいたときに止める反応力と止まれる余裕が必要だと反省。。