境界線を指でなぞる
人と人の境界線。
公と私の境界線。
道とお店の境界線。
白と黒の境界線。
境界線を、ほんのちょっとぼかしたくなる。
それは、仕事をしながらほんのちょっとふざけることであったり、歩いている人にお店から挨拶することであったり、相手の心をちょっと教えてもらうことだったりする。
そういう、境界線をほんのちょっと越えたところに、大切なものがある気がする。
くっきりはっきりとした、社会の境界線をぼやかす仕事。それが今している仕事なのかもしれない。
境界線をぼやかすということは、AとBのあいだにグラデーションをつくるということ。どちらでもない色をつくるということ。AとBのあいだにいる人に、居場所をつくるということ。
実は、境界線はあるようで、本当は「ない」のかもしれない。
「ない」と、混乱してしまうから、「ある」ことにしているのかもしれない。
「ある」ことにするために、定義したのかもしれない。
だとしたら。
混乱しない範囲で、誰も傷つかない範囲で、ほんの少し越境する勇気が、誰かにとってのセーフティネットになることもあるのかもしれない。
大昔、自然に出来上がった地には境界線は無かった。国という境界線も、土地の所有という概念も無かった。国境がなければ戦争は起きない。
あなたのもの、と、わたしのもの、との境界線がなければ奪い合うことはない。
「味方」がいなければ「敵」はいない。
線引きは、内側の結束力を増すけれど、同時に外側への攻撃性を強める気もする。
あらゆる線をなるべく、できる限り、ひかない。そこに平和のヒントがある気がする。
今の時代に、完全に境界線をなくすことは出来ないけれど、コツコツコツコツ、まずは自分の目の前にある境界線を指でなぞって馴染ませる。
指が真っ黒になったとき、世界がほんの少しだけ平和になっていることを願って。
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コメント4件
境界線、目に見えるのは土地の境界線くらいかしら
大昔は無かったこんな線も現代社会では有る事にしなければ生活が成り立たないから仕方ない
人と人、心と心の境界線は頑丈なコンクリートで出来た壁の様なものでなく、互いに行き来出る、混ざり合う事が出来る「なにか」で出来ていたらイイなと思う
と、「大丈夫」と「大丈夫では無い」の混ざった境界線にいるおっちゃんが書き込んでみる
とても共感します。
持ち帰りのカップに素敵なメッセージをありがとう。
心も体もほっこりしました。♪( ´▽`)
境界線がぼやけて温かい思いが繋がりますね。