比べようがない世界
子どもの頃「学活」という授業がどうにも苦手だった。
学活は、ときどき「お楽しみ会」などと謳ってレクリエーションの提案をしてくる。
「今日はイス取りゲームをしましょう!」などと決まってしまった日には最悪で、早々に離脱できることを願っていた。
なぜ、イスを取り合わなければいけないのか?取り合うことにどんな意味があるのか。私は取り合うことを微塵も楽しいと思わない。なんならどうぞと譲ったほうがいいし、みんなが楽しいのであれば、それを教室の隅から眺めていたい。そのほうがよほど私にとっては楽しいのに。
という、ノリの悪さを常々抱いていた。
学校は、子どもたちを楽しませよう!と、〇〇大会やら、勝敗をつけるゲームやら、おたのしみ会やら、さまざまな提案をしてくれる。そこには「楽しませる」というだけでなく、「仲間と協力する」ことや、「目標に向かって頑張る」という目的があったのだと思うのだけれど、順位をつけて煽る方法やレクリエーションと称して「楽しまされている感」がことごとく性に合わなかった。
ボーリングで買ったほうが〇〇、負けたほうが〇〇、いい点数を出せたほうが〇〇、この中で誰が一番か、みたいなのも本当にやる気が出なくて、なんと冷めた子どもであろうかとも思うのだけれど。
ちなみに、今でもオリンピックやワールドカップなどは観れない。駅伝や高校野球なんて、心が痛くて到底みていられないし、どちらかを応援することも出来ない。(一番きついのは格闘技かもしれない。もろに痛そうだから。)
なぜ、世の中は勝敗をつけたがるのか。煽るようなことをするのか。敵と味方を分けるのか。それが「エンターテイメント」と分かっていても、だめだった。悲しいほどに。
おとなになった今では「勝負」や「煽り」が資本主義の経済成長のために必要なこと、とは理解している。そこで頑張ってくれた人たちがいるから今日の「便利」の享受をさせてもらっていて、この世界が成り立っていることもわかる。
ただ、どう頑張っても私はその土台には乗れそうにないし、乗りたいとは思えない。
だからせめて。
一生懸命戦っている人の、戦わなくていい時間をつくりたい。みんながイスを取り合っているのなら、その勝負からこぼれ落ちてしまった人に「おつかれさま、頑張ったね」の言葉をかけたい。
最後まで闘い続けた人にも、「おめでとう、頑張ったね」と言いたい。
自分がカフェをしている理由が、年を経るごとに明確になってきている。
コーヒーは「勝ち負け」とは無縁の世界。だから私はここに居られる。
どれが「1番美味しい」がない。「良い悪い」もない。どのコーヒーもすべてがそのときの「唯一無二の一杯」であるし、どのお店が「1番素晴らしい」というものでもない。比べようがない。
だから、好きなのだ。
私は、教室の真ん中で、みんなを盛り上げることは出来ない。けれど、みんなが楽しそうにしているのは眺めていたい。それが1番わたしにとっての幸せだ。
悲しそうな人がいたら、隣に座ってどうして悲しいのか知りたい。理解したい。
教室でも、街でも、やりたいことは一緒だった。もう、きっと、これは私の性なんだ。
そういう自分にちゃんと誇りを持って生きていけばいい。誰になんと言われようと、そうやって生きていくことしか出来ないのだから。
戦わなくてもいい世界をつくるためには、闘わなくてはいけない。ぼーっとしていたら、いつのまにか戦いに巻き込まれてしまう。意志を持って生きなくてはいけない。
本当は、人間だってコーヒーと一緒で比べられないはず。状況だって、環境だって、能力だって、誰ひとりとして同じなんてことはないのだから。みんな違う。その前提で比べることになんの意味があるのだろう。
それぞれが、それぞれを尊重して生きる以上に、大切なことなどあるのだろうか。
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コメント4件
学校でのレクリエーション、私も苦手だったな
なるべく目立たない様に、見つからない様にしていたな
スポーツやモータースポーツなどの競技は嫌いではないよ
ボクシングなどの格闘技は好きではないけどね
あと、オリンピック選手が「努力は必ず報われる」とか「今回は金メダル獲れなくてごめんなさい」などと言う発言はいまいち好きになれない
オリンピックに出場する様な選手は皆んな努力してるし、必ず報われる訳ではないからね
企業などが順位を競うのはまぁ仕方がないが、最近ネットで見た記事に面白いものがあった
「なぜ唐揚げの店はどこも金賞なのか?」と言う記事だ
私も疑問に思っていたので大変興味深い話題でした
これには理由が有り、部門を増やして、各部門に複数の金賞を設ける事により「金賞」とつく名前の店を増やして業界を盛り上げる…って事らしい
その中でも一番評価の高い店が「最高金賞」を名乗れるんだとか
だから世の中の唐揚げの店は「金賞」ばかりなのね
唐揚げもコーヒーも味は一人ひとりの好みなのだから順位はつけられない
アーティストの曲だってそうだ、どの曲が一番優れているとかなんてない
毎度「藤井風」の話題を出して申し訳ないのだけど「まつり」を聴いてみて欲しい
このブログに通じるものがあると思う
以上、藤井風の曲と駅前のコーヒー屋さんに救われている人間の独り言でした
最近は投稿を見るたびに心配になりますね。。。
誰かに否定されているのか、
何かに怒りを感じているのか。
私はまだまだ闘わないといけないようです・・・。
珈琲持って頑張ります!!