4月の予定

4月の予定です。

火水木金は7時ー16時、土曜は10時ー16時です。

先週末はあいにくの雨でしたが、「とよしば」の最後のお祭りに行ってきました。

豊田市駅の居場所として、多くの人に愛されていたとよしば。とくに、学生や若い子たちの居場所として、平日も休日も賑わっているのが印象的で、街の風景としても大好きな場所でした。

夏は外の木の階段に座ってビールを飲むのが心地よく、お昼のうどんは絶品で。

なにより”受け入れの広さ”が、これからの街をつくるのにとても勉強になのではないか、と。

最後の雨の中のお祭りのとき、一人の男性が「あなたの息子さん!かわいすぎる!育ててくれてありがとうー!」と言って1000円くれました。私はわけがわからないまま「なんかわからないけどありがとう!」と言ってそれを受け取り、しばらく稀有な体験に不思議な気持ちでいっぱいでした。

育ててくれてありがとう!といって、知らないお兄さんから1000円をもらう。なんだこれ?笑

あとにも先にも、こんな体験はきっとこれっきりでしょう。

最近は「ものの価値」について、よく考えています。

有名なラグビー選手が私たちのお店に来てくれたとき、私たちは彼らが有名な選手だということに気付かずのんきに「背大きいですね〜!」などと言ったりして、にこやかでなごやかな時間を過ごしました。

その数分後、彼らがすごい人だという「価値を知っている人」が彼らを取り囲み、写真とサインの列を作り、和やかな時間は消え、彼らは一瞬にして「ただ、コーヒーを飲んでいた人」から「有名人」になりました。

彼らにとって心地よかったのは、どっちだったのか。

ファンにとって心地よかったのは、どっちだったのか。

お店にとって心地よかったのは、どっちだったのか。

「価値」がものをいう世の中で、「価値という概念がない空間をつくりたい」

それが最近の私の考える題材です。


2023年03月27日 | Posted in ブログ, 最近の出来事, 毎月の営業日 | | 5 Comments » 

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コメント5件

  • 松島 馨 より:

    ありがとう「とよしば」
    素敵な場所でしたね
    市長も「これで終わりではなく、今後整備していく東口まちなか広場につながる〜」と発言されているので、新しい東口まちなか広場に期待ですね
    3月31日、17時からの「カンバン外し&お疲れ様パーティー」、「とよしばのラストをお手伝い&見守っていただける方はぜひ当日現地にお越しください」って事らしいので行ってみようかな?

    「息子さんを育ててくれてありがとうー!」って言ってくれた方の気持ち、わかる様な気がします
    土曜日はつむちゃん目当てで通ってるのかも?
    お金は出さないけど、時間と体力は使わせて貰いますねʬ

    ラグビーの試合の日、大きな外国の方がコーヒー飲んでるな、くらいに思ってたら子供達のサイン待ちの列が…
    有名な選手でも「普通の人」でのんびりコーヒー飲みたい時もあるだろうけど完全プライベートじゃ無ければサイン攻めも仕方ないのかな
    あのサイン&写真撮影タイムが終わって静かになった時、「有名人」はほっとしたのだろうか…

    • NOZOMI より:

      松島さん

      豊田市のまちなかが、人がいられる場所であり続けられるよう、やるべきことをやらなくては、、と身にしみて思いました。

      日本人は特にかもしれないけど、「有名」「すごい」というものに対して崇めすぎるというか、
      「尊敬」を越えた上に位置づけてしまいやすい気がして、いろいろ思うところはありますね(。・_・。)
      それが「悪い」という話ではなく、「なんでなんだろう?」と純粋に思います。
      自分と同一線上に位置づけないことによって、保身するというか。うーん。

  • たまごサンド より:

    「価値」がものをいう世の中で、「価値という概念がない空間をつくりたい」って、相変わらず面白いこと考えてますね(@_@)

    でも考える上では、まず「価値とは何か」を定義する必要があると思います。

    ちなみに最近話題のChatGPTに「価値とはなんですか?」と聞いた回答が以下でした。

    「価値」とは、物や行動、人、概念などが持つ、進む、または重要な性質や特徴を指します。 具体的には、それが人々にとって有用である、美しい、高貴などの特徴を指すあります。
    価値観は、人々が自分自身他人や、社会、自然界、または神についてどのように考えるかに基づく、深く根付いた信念や原則です。しています。
    価値は、対抗者やグループが生活の中で意味を持たせるために使用されるため、一般的に主観的です。行動を指導する場合があります。

    ・・・う~ん。という点もあるけど、「有用」「美しい」「高貴」が並列になっていたり、Wikiでは「倫理における価値」と「経済学における価値」が並んで書かれているので、やはり「価値という概念がない空間」の「価値」とは何か?の定義を知りたいです。

    以上、興味がある題材だったので質問でした(^^)/

    • NOZOMI より:

      たまごサンドさん

      あいかわらず、変なことを考えています、、笑

      価値は「他と比較することで生まれる指標」だと思っていて、AにくらべてBは価値がある。など、主観的で相対的なものだと捉えています。

      たとえば、500円のコーヒーと、800円のコーヒーがあったとして、その2つのコーヒーはまったく一緒だったとする。
      そのときに、私たちはおそらく800円のコーヒーには800円の価値を感じ、500円のコーヒーには500円の価値を感じる。
      ということは、価格をつける、ということは私達自身が「価値を決めている」のではなく、「お店側が価値を定めている」
      それで納得すれば売買は成立する。それはお客さん側が「YES」か「NO」で二択する=受動的的な価値判断。

      だけれど、その指標がなくなったとき、私たちは「価値を考えなければいけなくなる」
      「YES」か「NO」ではなく、さらに主観的な「自分にとってはどうだったのか」を考えなければならず、インスタントには購入できない。

      「私にはそんな価値がないから、、」という言葉をよく聞きます。
      そのたびに「価値って何?」ってなります。人間の生にとって価値がある、価値がない、などありえない。

      「〇〇ができる人」「特技がある人」「有名な人」など、それは横並びの特徴であって上下ではない。
      何かと比較して指標をつくる。それを一回手放してみたい。

      そうですね、ちょっと言い換えると「価値の概念がない空間」というよりは「誰かが価値を定めない空間」と言えるかもしれないです。

    • NOZOMI より:

      「特徴」に意味を持たせない、とも言えるかもです。

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