数字とか時間とか
「今日は37度だから、あっついね。」
何回も使っておきながらいうのもアレなのだけれど、この時の37っていう数字っているんだっけ?と思うようになってきている。37度だろうが、39度だろうが、暑いものは暑い。なんとなく数字で確認しがちだけれど、自分の体感で”暑い”でよいのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
「12時だからご飯食べなさい」
「20歳なんだからしっかりしなきゃ」
「42Kgまで痩せたい」
「年収は◯◯万円はないと」
「降水確率は50%」
こういった数字は、ルールやガイドラインをある程度決めるにはとても役立つ。役立つどころか、こうした数字がないと、わたしたちは”普段どおりの生活”が出来ない。
8月28日の10時に待ち合わせ、といえば相互理解によって会うことが出来るし、400円です、と言われればお金を払うことが出来る。
数字は日常生活の中に深く入り込んでいる。数値化することによって、あらゆるものをはかることが出来る。はかるということは、比べることが出来るということで、比較が可能になるということでもある。「はかる」ものが多くなり、「はからなくてもいいもの」まではかるようになり、「はかれないもの」は無価値のように扱われるようになりつつある。
とくに数字のなかでも、わたしは”時間”が気になっている。
「時間」は何秒という最小の単位から、気の遠くなるような46億年、みたいな壮大なものまで、あらゆる時の流れを「時間」と呼んでいる。
ところで、時間って本当に”流れて”いるのか。すすんでいるのか?本当は流れてなんかいないんじゃないか、、?というのが最近の私の自由研究のテーマでもある。
地球は、回転しながら、太陽の周りを、ぐるりと回り続けている。くるくるとまわりながら、ぐるりとまわる。
この自転しながら公転する回転のことを、わたしたちは「時間」と呼んでいる。地球の人間の世界ではそういうことになっている。
そう考えると、時間はどこかからどこかへ流れている、時計の針のようにすすんでいる、というイメージではないのではないか。ただ、そこに在りつづけているだけではないか。そんなふうに思えてくる。
ただし、物質の変化としてあらわれる”経年”は、たしかに存在している。
木は、昨日なかった新芽を今日はつけているし、子どもは、1年前よりも5センチほども大きくなっている。私だって、肌感やシワなど、変化し続けている。
つまり、時計(数字)というものがないと仮定すると、物質の変化でしか時間ははかれない。太陽の位置、日陰の傾き、樹木の成長、液体温度の変化、季節の移り変わり。物質がなければ、時間は存在しないともいえる気がする。
物質はたしかに変化する。そうなると、世界の全体にまとまったおおきな「時間」があってそれが同じ速度で一定方向にすすんでいるのではなく、個々の物質や人間の表面をふんわりと「時間という膜のようなもの」が包んでいるのではないか、とも思えてくる。
すすんでいるのではなく、どんどん内包していっている。過去は過ぎ去ったものではなく、自分の内部にずっと存在する。今はもちろん目の前に存在しているし、未来はどこからかやってくるものではなく、今の自分と共にいる。
年輪のように時間をイメージしてみる。
時間のことを考えていると、すべての物事が一期一会にあふれているように感じてくる。
今、目の前の人と、同じ瞬間を共有すること。それは、二度と訪れないものである。
その瞬間はもう二度と訪れなくて、そのときに感じた感覚や感情は、”まったく同じもの”は訪れない。それは、唯一無二性をはらんだ「はかれないもの」だ。
今、この瞬間に目に映るもの。耳で聞こえる音。味わいや、香り、皮膚から伝わるもの。それを感じたときの自分の心の動き。そういった二度と味わえないものを、今、一生懸命味わおうとすること。
その提案が、私にとっては”コーヒーを淹れる”ということなのかもしれない。
地球が回転を止めたら、時間は存在しなくなるのだろうか?植物は成長しなくなり、動物の体内細胞は活動をやめるのか?はたまた、回転せずとも時間は”すすむ”のだろうか?いや、待って待って、地球が回転をやめたら、遠心力がなくなって引力のみになった結果、地面にのめりこんじゃう?重力がなければ時間は存在しない?宇宙に時間は存在してる?
もう、考え出すときりがない。
こうして、今日も穏やかに眠れるということが奇跡のような気がしてくる。今日もよく眠れそうです。
おやすみなさい。
人が感じる暑さは「気温」、「湿度」、「輻射熱」で決まるので「気温」の高さだけが全てではない
たとえ気温が低くても自分が暑いと感じれば暑いのだ
今の世の中、何でも数字で表される
テレビの視聴率もリアルタイムでの視聴率、録画視聴率なんてのもある
動画視聴回数「何億回!」とか、サッカーの「ボール支配率」とか……
みんな数字に表す事が好きなんだろう
時間は存在しない、流れていない説に1票!
今の一瞬は直ぐに過去に、新たな今が上書きされ続ける感じだろうか
地球の自転が一瞬で止まると音速以上のスピードで全ての物が吹き飛ぶ?
灼熱と極寒の二極化で人など住めなくなる?
マントルの対流が無くなり地磁気が消失して有害な宇宙線が降り注ぐ?
考えると夜しか眠れませんʬ
地球、頑張れ!