非言語の可能性
「健康にいいから食べなさい!」という言葉がちょっと嫌いだ。
こちとら、健康になるために生きているわけじゃない。
自分の生をおもしろがるために生きているのであって、「健康」は「おもしろがる」を長く楽しめたらまあ、そりゃあよりいいよね〜、という二次的な手段的なものである。
それを目的にしちゃったら、それはなんかちょっとズレる。
そして嫌々食べる”健康にいいもの”は、おそらく健康に良くない。ストレスホルモンを舐めちゃいけない。好きで食べる分には、とってもとってもいいと思うのだけれど、嫌々ならたぶん、ちょっと違う。
「売り上げが上がるから、やったほうがいい」という言葉も、ちょっと嫌いだ。
こちとら、売り上げを上げるためにお店をやっているわけじゃない。
自分の生や相手の生を心ゆくまでおもしろがるためにコーヒーを淹れているのであって、売り上げはそれを継続させるための手段でしかない。
それを目的にしちゃったら、とんでもなくズレる。いや、売り上げを上げるためにお店をしている人にとったら、全然ずれないからそれでいいのだけれど。みんながみんなそうじゃない。したくないことをするストレスを舐めちゃいけない。
「好きなもの」に触れたときに脳内に分泌する物質と、「嫌いなもの」に触れたときに脳内に分泌する物質は、目では見えないのだけれど、とっても大事な判断基準だと認識していて、何かを決めるときは言語化した思考ではなく、非言語の感覚に頼りがちだ。
その非言語の部分をなんとか人と共有しようと思って、一生懸命説明しようとするときのあの感じが、なんだかとっても好きだ。目に見えなくて、透明で、形のないものをなんとか言葉で伝えようとする試み。他者があってこその営みだ。
言語があるから「共有している」と思ってしまうけれど、言語があっても「共有していない」ものはたくさんある。そもそも、言語がなければ「共有していない」と分かったうえで対話をすすめるのだから、知りたければ「受け取りに行かねばならない」という感覚の能動性が発露して、ちょっと健全に関係を築けそうだ、、などと言語を駆使したブログという場所で言ってみるのは矛盾だらけではあるのだけれど。
非言語の日、みたいなのをやってみたらどうなるんだろう?
言葉がない、、ということは、メニューがない?言葉では伝えられないから、ボディランゲージで伝える?お礼も美味しかったことも、表情と身振り手振りで伝えようとする?絵はOK?絵文字はほぼ言語じゃないの?口の動き、は言語を伴っているからNG?声に出さなければOKとする?
もどかしさも、間違いも、意思疎通のできなさも、あらかじめ”それありき”であれば、受け入れる幅は広がるかもしれない。
わかりあっていない前提からはじまる関係は、なにかを気付かせてくれそうで、とっても興味がある。そんなことをつらつらと考えている。
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コメント6件
のんちゃん!いつもブログ読んでるよ!
福岡のちーちゃんです。私が数年前まで通っていた美容師さんが持病持ちで、非言語で接客する日があったよ。
手書きで「外の風、音、今を感じて下さい」
と書いてあったことが印象的だったな。
ピダハン族について調べてみると面白いかも!
言葉は便利だからつい依存しがちだけど、なんにせよ、便利なものは頼りすぎると落とし穴があるもの。
言葉の場合だと過剰な期待とか誤解とか余計な一言とか。
赤ちゃんや動物が相手だと諦めと理解しようとする謙虚さが生まれやすいから、コミュニケーションが成立しなくて自分を責めることはあっても相手を責める気になりにくいような気がします。そして、ちょっとしたコミュニケーションの成立を感じたときの喜びはひとしお。たまに意思の疎通を感じる犬との無言の散歩の時間は至福の時です。
言葉が通じる人とのそんな関係があったら、それは素敵だと思います。
健康に良いからと美味しくもない物を食べる、良く分からないサプリメントを大量に飲む
そんな事よりもストレスを減らす事が健康になれる、という事ですね
売り上げを上げるためにお店をやっているわけじゃない→売り上げを重視するあまり、お客様や保険会社、自分の会社の従業員まで不幸にしてしまった今話題のビッグモーターさんとは真逆ですね
STREET COFFEE &BOOKSはお客さんもお店の人も幸せになる事を追求(追究)していますね
【非言語の日】めちゃくちゃ面白そうだけど、取り組みを知らない急いでいる人なんかはブチ切れそうで怖いねʬʬʬ
【ブラジル】とかの産地は無しで【味の特徴(○○の様なフレーバーとか)】だけでコーヒーを選んでもらうのも面白そうです