相互作用について

相互作用…互いに働きかけ、影響を及ぼすこと。

例えば、自分が咳払いをする、とする。そのとき、その周囲にいる人には、少なからず”なにか”影響がある。

例えば、自分がほんの少し動く、とする。そのとき、その周囲にいる人には、少なからず”なにか”影響がある。

例えば、誰かにひとこと声を掛ける、とする。そのとき、声をかけられた相手はもちろん、その周囲にいる人にも、少なからず”なにか”影響がある。

自分の動きや音が、外部に及ぼす影響の可能性について考える。

視線の動かし方、手の動作、体の向き、返答の温度、言葉の選択、順序、角度、早さと速さ、テンション、濃度、余白、余韻、etc

誰かと共存する、ということは、誰かになにかしらの影響を及ぼすということで、それはときどき相手のハッピーを引き起こしたり、はたまたアンハッピーを生んでしまったり、怒りにもなれば、憎しみにもなり、時々感動になったり、誰かの人生がかわるほどの影響があることもある。

目を凝らして、耳を澄ませて、センサーを研ぎ澄ますと、あらゆるものが相互作用していることに気がつく。

私はわかりやすく”音”に例えるけれど、別に音じゃなくても”空気”ともいえるし、”圧”のようなもの、とも表現できる。

自分の動作が相手に作用しているのと同時に、相手の動作も自分に作用している。

たとえば、目が合う、微笑まれる、歓迎される、愛される、受け入れられる、目が合わない、邪険にされる、拒絶される、居ないものとされる。目の表情だけでも相手にこれだけ多様な印象を与える可能性がある。

すべてのものは、相互に作用している。切り離されたものはなにもない。

すべてから切り離されている人など居ない。その視点でみてみると、世界からの様々な恩恵を感じなおせる。

先週刈った草が、今週枯れている。

そのとき、太陽という存在を改めて感じることができる。

グラスを持ち上げると、カランカランと氷の入った音がする。

そのとき、水が氷となるプロセスや、氷から受ける恩恵を享受していることについて改めて気づく。

本をめくる音がする。それを書いたひと、並べたひと、ここに行き着くまでの道のり、それにいたるストーリーなどなど。あらゆるものの存在を認めることができる。

一杯のコーヒーを飲む。その一杯にいたるまでの、原産地の風景や香り、遠い国で袋詰される様子や、長い旅の様子、試飲され、驚きと期待に満ちた表情を浮かべるロースターや、焙煎される様子、抽出される様子、一杯のコーヒーになるまでの果てしない道のりを想像することができる。

そうして想像した時に、世界のなにからも切り離された人はいないということに気がつく。

つながろう、つながろう、としなくても、もうとっくに放り込まれている。

得よう、得よう、としなくても、もうとっくに与えられている。

自分の存在が、今日も誰かに影響を及ぼし、誰かの存在が、今日も自分に影響を及ぼしている。

完全に切り離された人は、きっといない。

そう思うと、誰もが誰もと無関係ではなく、他人と自分の境界線が溶けていく。

淡く溶け合った先に、穏やかな世界が広がっている。気がする。

2024年07月23日 | Posted in ブログ, 私の生き方 | | 2 Comments » 

関連記事

コメント2件

  • 松島 馨 より:

    相互作用…車の運転でもよくある事です
    1車線の道路で自分も対向車も右折なんて場合に上手い人同士だと同時にスムーズに右折出来たり、信号が変わってからウインカー点けられた時にはイラっとしたりʬ
    相手の動作の影響は色々感じても、自分の動作が他人に影響を与えていると感じながら生きている人は案外少ないのかもしれない
    明日からも誰かと関わりながら、悪い影響?を及ばさない様に生きて行ければ…

    • NOZOMI より:

      松島さん

      一車線のどっちも右折、あるあるですね〜!すんなりいったときは気持ちが良い。笑
      最初の一歩をそうっと歩きだすのか、 ドシンと歩きだすのか、ものをそうっと置くのか、ガシャンと置くのか、
      なんか意識しだすと茶道っぽい動きになりそう。

      結局どう受け取るかは受け取り手次第だし、考えすぎると沼りそうですね。意識するのはほどほどがいいのかもしれないです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です