あけましたね

あけましたおめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

先日で樹木荘のROJI COFFEE&BOOKSをはじめて1年が経った。

冬の寒い時期から、陽気な小春日和、真夏の日差しから、束の間の秋、そしてまた冬へ。

どの季節もそれぞれにおもしろく、愛おしく、豊かだった。

ストーブの上でシュシュシュシュと漏れ出る蒸気も、縁側で思わずうとうとしちゃう暖かさも、ぐんぐんと伸びる新緑も、セミの抜け殻ブローチも、ゆかちゃんの渡してくれた氷嚢も、トゲトゲのくりを拾ってきてくれた手も、どれもどれも豊かだった。

1年を通して体感したのは、日本家屋の心地よさでもあった。

凛として、澄んでいて、それでいて温かい。何にもないけれど、すべてが在る。それは樹木荘で飲むコーヒーそのものだった。

あらゆるものを削ぎ落とした、不完全で未完成な美しさ。ROJIをつくるときに参考にしたwabi-sabiの本にはそう記されていた。

(ちなみにROJIの”露地”はこういう漢字で仏教用語からきている。千利休は露地のことを「浮世の外の道」と表現し、日常とは切り離された”煩悩・束縛を脱却した境地”であるとしていた。)

経年変化も、さまざまな生物も、自然環境も、すべての人も、あらゆるものを受け入れて、待つ。

あらゆるものを受け入れるには体力がいる。待つには忍耐がいる。1年やそこらですぐに成果や結果が出るものではなく、少なくとも3年、5年、10年とやっていけば自ずと見えてくるものなのだろう、と思う。

今年は何をしようかなあ、とはあまり考えないようになった。

何をする、ではなく、どう在るか。

それさえ見失わなければ、大丈夫なのだということを確信したからなのかもしれない。

私は、今日、どう在るか。今この瞬間、どう在るか。そこに自分の支柱さえ差しておけば、それでいいような気がしている。

駅前も、露地も、今年もそんな調子です。

今年もすべての人にとって豊かな年となりますよう願っております。

私たちは、ここにいる。どんな時でもずっといる。たとえば、いつの日か、何年後かに場所が変わったり、形状が変わったり、何か外的な変化が訪れたとしても、私たちはいつもここにいて、いつだって両手をひらいている。

だから、安心していってらっしゃい、と思う。

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コメント2件

  • 松島 馨 より:

    台風対策時のロウソクの灯りによる「真っ暗営業」や急な豪雨で外に出られなくなった時なんて「本当に世界から切り離された空間」になっていた気がします
    なんだか落ち着く日本家屋の心地良さ、時の流れさえゆっくりに感じる
    いや、時間という概念さえも超越した空間なのかもしれない

  • たまごサンド より:

    今年こそ行きます。

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