ご自由に、のこと

「どなたでも、ご自由に休憩どうぞ」
これは駅前のお店の看板に書いてある言葉で、オープン当初から変わらず示し続けている。
そもそも駅前のお店のスペースは”お店のもの”ではなく、みんなで使えるパブリックスペースであり、すべての人にとっての共有地。たまたま私達が整えたり見守ったりしているけれど、基本的には誰のものでもない。
そのため、誰が休憩していてもよい。場所の活用としてそれはとても喜ばしいこと。
逆説的にいえば、だれにとっても自由の場所である、ということは「あなたの過ごしていい場所です。あなたも過ごしていい場所です。みんなも過ごしていい場所です。」ということ。
この”自由”という概念は、誤解されがちだ。
”好き放題してもいい”と誤って解釈された際には、”自由の継続”は困難になる。
誰かに所有、占有の概念が出てきてしまえば、それは別の誰かの”自由を奪っている状態”であり、そうなってしまえば何かしらの”ルール”をつくらざるを得なくなり、結果的に自由のない状態の場所が出来あがる。
他者への配慮のない自由は、自ら不自由を誘発していることになる。
それは結果的に自分の首を絞めていることになり、それは自由とは呼べないのではないか、というのが私の意見。
自由、ということは、自らに由る、ということで、自分に責任のある状態を指している。それは”他人のせいにしない”ということ。自分という基準に基づいて決定・判断すること。
”自由”と”好き放題”の違いは、他者の”自由”を侵していないか、ということ。
自分の自由を守るということは、他者の自由を守るということ。
各々がそういった意味で”自由”を使いこなしていけば、自由は継続される。お店も前のスペースであっても、みんなの公園であっても、公共地であっても。
私は、自分の自由を守りたい。他者の自由も守りたい。自由の継続を心から望む。
おじいさん、おばあさんが「ちょっと座らせていただきますね」ってわざわざ口に出して言わなくても気軽に休憩出来る場所だと認識して自由に使ってもらえると良いですね
介護の施設に仕事に行くようになって『歩行器が無いと歩けない人』、『杖が無いと歩けない人』、『杖が有っても長い距離を歩けない人』、色々な人を見てきて『ただ歩けるだけで幸せだな』って感じます
本を読む人、楽器を演奏する人、ただ座って休憩する人、皆んなが気持ち良く過ごせる場所で有り続けますように…