気付く、のこと

「”治す”のではなく”気付く”の手助けなんだよね」
先日、整体をしてくれた方の言葉が印象的で、頭の中にじんわりとした感覚を残しながら浮遊している。
「”僕が”あなたを治します」ではなく、「”あなたが”あなた自身のことに気付き、自分で整えていけるように手助けをする」
それはどちらかといえば東洋的で、予防的で、露地でしたいことと限りなく似ていた。
コーヒー屋さんを始めた当初は、「”私が”みんなを笑顔にしたい!元気にしたい!」という気持ちが溢れていて、それは若さゆえでもあり、それはそれで活力があってとても良かった。けれど、何年か経ったとき、平和への根本的解決の糸口は別のところにある、ということに気が付いた。
”もしかしたら、本当のゴールは自分のような存在が必要とされなくなるときなのかもしれない。”
それは全然ネガティブなことではなく、むしろきっと、世界はいい状態といえる。
誰もが、他者に外側から元気を与えてもらわなくても、内側から溢れる生命力で健やかでいられるということ。
自分の身体の不調に気付ける、ということ。事前に察知して予防できるということ。心の状態を自分自身が受け取れるということ。大きな崩落になるまえに、小さな損壊を試みるということ。
自分で自分自身を整えることができたら、”治します”という仕事は減少していくかもしれない。だけれど、相手自身の幸福には確実に近づいている。世界の幸福には近づいている。
だとしたら、そっちに進んでいったほうがいい。
必要とされなくなるその日まで、私のやるべきことを一生懸命やるのみ。誰もが、内側から溢れる生命力を思う存分味わえる世界になる、その日まで。
施術中に「呼吸、出来てないね!」というひと言が、私はとってもおもしろくて吹き出してしまった。
わたし、呼吸出来てなかったんですか。36年間、なにしてたのでしょう。
自分は呼吸が下手だということを気付かせてもらったいい日だった。
気付く、というのは、多分そういうこと。自分では当たり前過ぎて意識にものぼらないようなことが、ポンっと目の前に置かれるということ。
今週あたり、神妙な面持ちで立っていたら、教えてもらった呼吸の練習しているかもしれないです。そのときはあたたかく見守ってもらえたら助かります。
関連記事
コメント4件
36才!
時間の流れは意外に早いことに気づいた!
うん、自分で自分の事に気が付いて整えて(調えて?)いけたら良いですね
ちゃんと呼吸できるように気を付けて過ごしましょう
私もね