胸を張って、褻の美を

急激に、日常のすべての事が「褻」と化したことで気付いたことがある。

異様なほどの居心地の良さ、だ。

もしかしてこれまでの日常は、私にとって「晴れ」過剰だったのかもしれない。

週末はどこかのイベントに出掛けたり、新しいお店に行ってみたり。友達との約束や、予定が合えば家族でお出かけをしたり。

心からの「行きたい!」ではない場所だったとしても(なんども誘ってもらっているし…)(いつも来てくれるから、、)(〇〇さんが企画したイベントだから)など、勝手に誰かに気を遣って動いていた事が多々あるように思う。(頼まれてもいないのに)

SNSに投稿するためのネタとして写真が必要、というようなこともあったかもしれない。こんなに美味しいもの食べた!だったり、こんなに良い時間を過ごした!だったり、外側に向かった言葉を発しなくては、と気付かぬうちに思い込んでいた。

自分にとっての「晴れ過剰な日々」は「自分の内側に向かう言葉と対峙する」という時間を忘れさせていた。

多すぎる刺激を、私は求めていなかったらしい。

2020年。3月ごろから、ほぼすべての予定を一度リセットすることになった。家族旅行、友達との食事会、行きたいと願っていたフェス。夏の花火、お祭り。2020年の8割は白紙になった。

大勢の人がそうであってように、私も当然そうなった。

自粛の風潮によって、日常の「演出」は不要になった。

それが、なぜだかものすごくスッキリとした清々しさを運んできてくれた。中止によって多くの犠牲を被った方には本当に胸が痛いし、本当に残念だとも思う。それでも、なぜだか言われもしれぬ安堵が広がった。

個人的な感覚では、ものすごく自分が「褻」の素質を持っているのだと思う。どちらかといえば、淡々とした「日々」が好きだったりする。映画もいまいち盛り上がりにかける「横道世之介」みたいな作品が好きだ。

仕事も、そうだ。イベントごとにほとんど関与せず、淡々とやってくる毎日を淡々と営業したい。そこには「変化」がないように思われるし、楽をしているのではないか、という自分への懐疑もある。

だけれど、同じように見える日々だって、まったく同じ日は1日もない。それをミリ単位で感じるには、淡々とした日々の中でのちょっとした変化を察知しなければいけない。そんでもって、そんな小さすぎる発見が何より楽しかったりする。

我ながら、地味すぎる。びっくりするくらい、華がない。おばあちゃんの感覚なのか、とさえ思う。

だけれど、それが心地よいのだ。派手で色鮮やかな日々を目指してはいなかったのだ。そんな自分を知れたのは収穫とも言える。

自分にとっての過剰な日々はほどほどにして、胸を張って褻の美を見つけようと思う。お店も、生活も。それが自分の本来の望んでいること、らしいのだ。

2020年05月30日 | Posted in ブログ, 私の生き方 | | 3 Comments » 

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コメント3件

  • たまごサンド より:

    今日の「久しぶりに百貨店に来れてストレス解消できました!」「観光地に来れてストレス解消になりました!」みたいなニュースを観て、そもそもニュースは平均的な事実ではなく、刺激的な部分だけ切り取って誇張するもだと思いつつも、百貨店や観光地には年に一度行くのかどうかの生活をする人間からすると、百貨店や観光地に行かないことでストレスを感じる人は全体で何割くらいいるのだろうか?と素朴に思ったり、もちろん個人の嗜好なので他人が言うことではないといえばそれまでだけど、百貨店や観光地に行かないとストレスがたまる人こそ、解禁を待ち焦がれるだけではなく、「褻」にも面白さがあることを少しでも知るといいのに、と思いました。その率が増えると世の中も少し変わる気がするなぁ。

    • NOZOMI より:

      たまごサンドさん

      本当に、そうですね。中立的に話したつもりでも、切り取ったりくっつけたりで幾分か違う印象になりますね。
      本人的には消費行動「している」と思っていても、案外「させられている」ということに無自覚なだけなのかも。
      もちろん観光地も百貨店にもお世話になってはいるけど、「消費を促す観光地的に作った場所やお店」よりも「地域に愛されているうちに観光地っぽくなってしまった場所やお店」にどうしても惹かれてしまいます。
      そこに暮らす人にとっての「褻」というのが垣間見える場所に安心するのかもしれません。

      • たまごサンド より:

        『「消費を促す観光地的に作った場所やお店」よりも
        「地域に愛されているうちに観光地っぽくなってしまった場所やお店」にどうしても惹かれてしまいます。』

        全く同感です!
        もちろん、サービス業として、徹底的に観光を意識したしつらえやおもてなしを追及するというあり方は全然ありで、極められたものは感動を与えるのだろうと思います。
        一方で、観光客などは意識せず、自分の住む町やその町での仕事が好きで、それを追求している人たちが日々の暮らしを営んでいる様子が町の魅力になっているケースもあると思います。

        自分はどっちが好きか、どっちが得意か、どっちになりたいか、を考えることも面白いですね。

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