コーヒー屋のおもしろさ
コーヒー屋へ行く回数を、意図的に増やしている。
行きたいお店がたくさんある、というのもある。今だからこそ同じ業種にお金を使いたい、というのもある。
だけれど、それ以上に、紐解いていくのがおもしろい業種だということを再確認してしまったから。
コーヒー屋、とは。
お客さんからの注文を受けて、コーヒーを淹れて、提供する。それだけのことである。なのにもかかわらず、こんなにも多様なお店が存在する。
なぜそうしているのか、というひとつひとつに店主の思考がちりばめられており、お店としての方向性やコーヒーに対する考え方、さらには生き方までも反映されているような気がする。
シンプルなだけに、ひとつひとつに明確な理由がある。
なぜそのカップを選んだのか。なぜ、この席数なのか。なぜ、このタイミングで砂糖とミルクが必要かを聞くのか。音楽の選択の仕方、ボリューム。立地や店舗の大きさ、というハード面はもちろんのこと、メニューの記載や、テーブルセッティングにおけるまで、最低限のアイテムで店主の考え方を反映させている。
そして、その店主の思考はコーヒーの味に、もっとも影響する。コーヒーを通して【リラックス】してほしいのか。【発見】してほしいのか。【感動】してほしいのか。【活力】にしてほしいのか。
豆の選び方から、焙煎方法、抽出方法までのプロセスを頭の中で構想する。お客さんの感じ方を想像する。店主の意図していることに反することは、極力避ける。
そういった一つ一つの選択のもと、お店の雰囲気は決定する。
すべてに正解はないのだけれど、どういう目的でお店を営業しているのか、という一貫性を見いだせたときには感動を得ることもある。
一貫性が感じられず、どこかちぐはぐな場合【良さそうなもの】をむやみに取り入れてしまった可能性もある。それが悪いとは思わないし、そのほうが数字的観点からいけば良いこともある。
レストランだってお菓子屋さんだってセレクトショップだって本屋さんだって、すべてのお店でそういったことが行われていて、それが街をつくっているのだとは思うのだけれど、自分の詳しくない業種はそこまで踏み込んで感じられずに【なんとなく、いいな】くらいに思っているかもしれない。(すべての業種で裏の意図を読んでいたら、おそらく猛烈に疲れてしまうのでそれくらいで丁度よい)
私にとって日々考えていることの延長上にあるコーヒー屋さんを感じることはこの上なく楽しいのである。
まだ、まだ、コーヒーにときめいている。毎日、楽しい盛り。
そういえば、今日は七夕ですね。大雨が、一刻も早く止みますように。
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