伝え方、受け取り方
我が家の息子は、とても可愛い。いつもお花を摘んできて、プレゼントしてくれる。それをビンに飾っては、ニコニコしている。
ある日、プレゼントしてくれたお花が干からびて枯れてしまった。摘んでしまったのだから、当然の事象といえる。
ところが、息子は悲しくて仕方がない。「お花が枯れてしまった!」と泣いている。泣きながら「ママはお花が枯れても平気なの?!」と、憤っている。お散歩したときには、道端のしょげたお花を拾い上げながら「枯れてる、え~んえ~ん、、」と泣いている。
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ここまでの一連を、さくっと並べると、うちの息子はとても心が優しい少年のように思える。
親からしても、それに異論はない。優しいところがあって、愛おしい。
だけれど、ここから、少しの情報を足すと、状況は微妙に異なってくる。
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そういえば、彼は、ケーキが倒れてしまったときにも泣いている。きれいに食べたかったのに!と怒っている。もうこんなケーキいらない!と、スプーンを投げることもある。
また、カレーとご飯の割合がベストでなかった場合にも、泣けてしまう。ご飯9;カレー1のスプーンを口に入れようものなら「バランスがチガーーーウ!」とお怒りモード。
お箸で食べている途中に、ポロポロとご飯が溢れるのも気に入らない。「なんで落ちちゃうの?!」と、自分の不器用さに打ちひしがれる。
ココアの温度はあつすぎてもぬるすぎても駄目。
作っていたブロックがすこしでも崩れようものなら(ドカーン!)
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ここまで書くと、序盤の彼の「お花が枯れて泣く」というのは、優しさからの涙だけではないことが伺える。おそらく、彼にはある種の「完璧主義」な部分があるのではないか、と考えられる。
お花が枯れて泣いているのは、「枯れてしまって、かわいそう」ということもあるかもしれないけれど、「お花の完璧な状態が崩れてしまったから」であるのかもしれない。
「お花の完璧な状態が崩れてしまったから」といって泣いているとしたら、それは優しさに直結することだとも言い切れない。
何か起こっている事柄があるとして、その出来事だけを伝えてしまうと、誤解を受けることがあるのかもしれない。それが「なぜ」そうなっているのか、それこそが大切なのかもしれない。
情報の1つだけを見せ、印象を操作することはとても簡単なのかもしれない。嘘はついていない、だけれど、全部の情報を提示しているわけでもない。都合がいい部分を切り取って、見てほしい方向に並べることで、都合のいいように印象づけることが出来る。
なんで、こんなことを言い出したのかというと、先日、序盤のお花に関する息子の行動を載せたときに「なんて優しい息子さん」「きっといい子になるでしょう」といったメッセージを頂き、それはとても嬉しいことで、有り難いことで、私としてもそうであるといいなあと思った。だけれど、同時に感じた違和感の正体は「こういう切り取り方をすると、こう伝わってしまうのか」という反省でもあった。
世の中は印象操作で溢れている。いちいちすべてを検証することも出来ないので、ぱっと受けた印象は、やはり大切だ。
だからこそ、伝える側の責任は大きい。意図的ではなくても、誤解を誘うことは多々ある。相手がどう受け取るか、をもっと配慮しなくてはいけないなあ、、と、思った次第。
優しさ100%だけではない息子の言動をみていて、いろんなことを感じられて、日々楽しんでいます。今後も観察を引き続き続けていきたいと思います。現場からは、以上でーす!
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コメント5件
メディアが意図的に切り取って印象操作するのも腹立たしいけど、個人がそもそも切り取った程度の情報を手にしただけですべてを理解した気になって、正義感のもとに発信するのも、それはそれでタチが悪かったりしますよね。まぁ、家族友人の範囲で話す程度ならいいけど、最近はネットのおかげで拡散しやすいだけに。
と、毒づいてみました。
はーい!のんちゃん中継ありがとう
子どもは純粋やから面白くもあり
考えさせられるよね!
綺麗だと思う心
自分の思うように行かない気持ち
それを物に当たったり、いたずらしたり
子どもも初めての経験やけど
子を待つ親もまた初めての経験
日々成長やね。
諸行無常
形あるもの命あるものは
いつか無くなる
だからこそ、美しく・儚く・尊い
同じ子を持つ親として
優しく・強く・温かい人になって欲しいと
願います。
お父さんみたいに☺️←偽善者です(笑)
今日も駅前お願いします。