カフェという生き方
「お店って趣味でやってるんですか?」
よく言われる質問ではあるのだけれど、その都度、地味にダメージを食らっている。
お店は趣味なのか?家計を支えるためにお店をしている、とは言い切れない現状では趣味のように思われているのは仕方がない。好きなことを好きなようにやっている、という観点から見ると確かにそうかもしれない。ただ、他人に(それも初対面で)そう言われると「所詮おままごとでしょ?」と言われているようで、腑に落ちない。悔しさを押し殺して、笑顔でスルーする。
じゃあビジネスなのか?そう言われると、利益の最大化を追求していないしプライベートな時間もしっかり確保しているために、ビジネスとは言い難い。「売上を伸ばす方法」は今のところ私の中ではさほど重要事項ではない。「継続可能な形」で成り立っていれば問題ない。
仕事ですか?と言われれば「仕事です」とは言えるけれど、その聞き方の時の「仕事」は、「やらざるおえない」というようなニュアンスを含んでいるような気がして、少々ズレる。少なからず、好き好んでやっている。
私にとってのお店は、趣味なのか、仕事なのか、なんなのか、とここ最近考えていて、やっと腑に落ちる言葉が出てきた。趣味か仕事か、の二択から選ぶのではなく、新しい解を示せばいい。
私にとってのお店は「生き方」だ。
生き方の一つとして「カフェ」を選択している。生き方の一つとしてこの営業スタイルをとっている。仕事も趣味もひっくるめて、大事にしたいものを大事にした結果、こうなっている。
誰にとっても、縛られることなく自由な場所を。どんな立場の人も関係なく居られる場所を。コーヒーを味わいながら季節を感じられる場所を。沈んでしまったときにも、嬉しいときにも、そのままの相手を受け止める場所を。心細いときにも、安心できる場所を。
そういう場所をつくることに、力を注ぐこと。それが私の生き方。仕事なのか、趣味なのか、はもはやどっちでもいいのかもしれない。
先日、ある女の子が言ってくれた言葉が、とても嬉しかった。
「カフェはコーヒー1杯を楽しみにして、会いにくる人に対してとても責任がある仕事」
どちらかといえば、ゆるいイメージのカフェ。好きに営業したり休んだりだって、しようと思えば出来る。だけれど、コーヒーを楽しみにきてくれた人のその気持ちをしっかりと受け止めて寄り添うこと、それは他の人には出来ない。そこには責任が生じる。
お店をはじめた以上、それは誰かの日常に介入することであり、無責任な放棄はしてはいけない。もちろん、やむおえず、ということは起こりうる。だけれど、やむおえず放棄しないためにはどうするべきか、に対しては真摯に向き合わないといけない。
カフェという生き方。私にとって、1番しっくりくる生き方。
これからも、カフェと、生きていく。
「好きじゃないことでも生活のために我慢して続けることが仕事」と定義づけている視点からすると「仕事として認めるのは悔しい」となるかも。
求めてる人がいて、それをすることで、喜んでくれる人がいて、その行為を継続できるように、ちゃんとお金を貰い、仕入れのためにお金を払うことを続ける。そのための工夫を続ける。これこそ、仕事として理想的な在り方でカッコいい。
それを「生き方」といえるのは、もうワンランク上のカッコよさがある。