駅前と路地裏

今のお店から歩いて20分くらいのところに、もう一つお店をつくっている。

樹木町という町で、豊田市美術館や文化会館、それと建設中の豊田市博物館がある、豊田市文化ゾーンと呼ばれるエリア。

移転ではなく、もうひとつ、つくる。

「なんで2つやるんですか?」と、ちょこちょこと聞かれることがある。個人的には、もう一つやりたい、というのはとっても自然なことだったのだけれど、客観的にみたらよくわからない行為かもしれないので、補足的に考えていることを記しておくことにする。(のちの自分のためにもなるかもしれない)

今の駅前お店、STREET COFFEE&BOOKSの環境は、私が”社会にとって必要だ”と思い描いていた理想的なカフェの形だ。

街にひらかれていて、誰でも見つけることができて、足の悪い人でも、車を持っていない人でも、ベビーカーをひいていても、小さなお子様と一緒でも、コーヒーを飲まなくても、誰にでも気兼ねなく《いつでも、どれだけでも、どんな人でも、ここにいていい》といえる場所。利益の最大化を目指すのではなく、余剰分を地域資源として還元させながら、パブリックな空間をつくる。その一端を担える、ということがとても有難く、自分たちの住みたい街を自分たちの手でつくる、という責任を(勝手ながら)感じている。

例えば、日本のどこかの《無差別通り魔事件》がニュースで流れてきたりする。それは、全然人ごとじゃないな、と思う。自分たちの街だって、いつだって起こり得ることだ。その時に、わたしの心にいつも引っ掛かるのが、その何かの拍子で糸が切れてしまった人には、居場所はあったのだろうか?ということ。その人のことを気にかけてくれる人はいたのだろうか?糸が切れちゃう前に「今日嫌なことがあったんだ」「それは辛かったね」と愚痴を聞いてくれる人はいたのだろうか?ということ。

その人には、居場所があったのか。もし、一つでも居場所があったとしたら、違う結果になっていなかったのだろうか。それは憶測でしかなく、実際のところはわからないのだけれど。

自分の街にそういう場所が見当たらないのであれば、自分でつくったらいい。ギリギリのところで耐えている糸をほんの少しゆるめられる場所をつくること。ほんの1mmだとしても、街の平和につながるかもしれない。

これが、私が街のひらいた場所でコーヒーを淹れていたい理由。

そうして、ありがたいことに駅前のコンテナで営業させてもらって、およそ4年半が過ぎた。何にも知らなかった街のことも、少しずつ表面化していない事情が見えてくる。(全体ではないけれど)

豊田市の駅前は都市再開発の後半戦へ突入している。再開発に当たって、今の駅前の現状や、街にどんな場所が必要か、これから街は、駅は、行政は、何をしていくべきか、どうしていくべきか。

そういった意見を、小さな民間事業である私たちにも聞いてくれる。その時、自分の保身のために「本当にいいと思うことを言えない状況」「長いものに巻かれなきゃ生存できないという状況」になってはいけないな、と思った。

本当に、これからの社会に必要だと思うことを堂々と主張すべきだ。そう主張したときに駅前のお店の存続が危ぶまれることもあるだろう。だからと言って、心から思ってないことなど口が裂けても言いたくなかった。

そう考えたときに、場所を第三者に完全に依存している今の状態のままではいけないのではないか、軸をもう一つ用意する必要があるのではないか、と思った。

そして、せっかくやるなら、駅前でできないことを。路地裏だからこそできることを。

自分がコーヒーから受け取っている豊かさや美しさを、誰かに伝えられる場所にしたい。そのためには自分自身がとびっきりワクワクする必要がある。

そうしてつくっているのが、樹木町にある古民家を改装した《樹木荘》の中にあるコーヒースタンド《ROJI COFFEE&BOOKS》※ちなみにROJIの漢字は”露地”という茶道の言葉をイメージしている。

ここまで「街のために」とか「社会にとって」とか、散々書いたのだけれど、これらを”したい”というのはすべて自分のエゴである。そして、自分のエゴでしたいことをするために、誰かを巻き込むのだ、ということにも改めて気付く。誰かを巻き込む、とは、誰かの何かを”奪う”ということでもある。

その人の生活を変化させてしまう。

思えば、昔から、誰かを巻き込んで何かをすることや、遊びに誘うこと、一緒にやろうと声をかけること、そういったことがとてつもなく苦手だった。誰かを誘ったときに発生する”責任”が、きっと、ずっと怖かった。だから、一人できる範囲のことをずっとしてきた。

でも、もしかしたらそれは、相手の決断に対する”信頼の足りなさ”でもあったのかもしれない。

お店が2つになる。それはもう、一人ではどうしようもなく、どう頑張ったって一人じゃ成立しない。一緒にやろう、と決めてくれた人の覚悟と、その気持ちを絶対無駄にしないぞ、という心意気と、それでもいつか相手が離れていくと決めたときには、それも心の底から応援できる強さと。今はまだ、へなちょこメンタルだけれど、ほんのちょっとずつでも強くなれたらいい。

そんな事情で、お店がもう一つ増えます。

生きているだけで、誰かの何かを奪ってしまうのが生き物の常だとしたら。そのことを自覚した上で、目を逸らさずに、湧き出てくる有り難みになれないように。

あと準備も少し。頑張りましょ。

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コメント4件

  • たまごサンド より:

    カッコイイ!!!

    • NOZOMI より:

      たまごサンドさん

      いや、いや、とんでもない汗
      いろんな方に迷惑をかけながらの、大きめのわがままです、、汗

  • 松島 馨 より:

    駅前にSTREET COFFEE&BOOKSがあって助けられた人が通りますよ〜

    開かれた場所、落ち着いた雰囲気の場所、どちらのお店も魅力的

    生きてるだけで、誰かの何かを奪ってしまう…どころか、沢数多くのモノを与えて頂き感謝しかありません

    • NOZOMI より:

      松島さん

      生きれいるだけで、本当にいろんなものを奪ってしまってますよね、、
      植物や動物の命や、遠い国で低賃金で働いている方々も含め、、、
      でも、それなしにはもはや生活ができないから、せめて忘れないようにしていたいです。

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