ポイ捨てから見える街の課題
ちょくちょく、打ち合わせのためにお店のできる予定の地に行っています。
ぽーっと人の流れをみたり、自分自身もそこでコーヒーを飲んだり。昨日は、ふとその正面の植え込みに視線がいき、みてみると、ファーストフードの食べ終わったあとの紙袋が落ちていました。
それを拾いながら「このゴミは、どうしてここに落ちているのだろう?」と考えていました。
おそらく、食べた人が「ゴミを持っていくのが面倒だった」とか「置き忘れてしまった」とか。特に意味はないと思うのだけれど、もし万が一故意に置いていったとしたら、それは解決策があるのではないか、と。
例えば「このあたりにゴミ箱がないから、そこに置いた」のだとすれば、そこに同じように落ちている吸い殻に説明がつかない。
なぜならば、そのすぐ横に【新しいスモーキングエリア】が設置されている。灰皿は、ある。スモーキングエリアはこちら、の案内板もある。けど吸い殻は、落ちている。きっとゴミ箱があったとしても同じ事が起きる。
もっと内側の、場所に対する意識を変えなければいけない。
人は、自分の好きな場所にゴミを捨ててしまうだろうか?自分の好きな店の前に、食べ終わったものをそのまま置いていくだろうか?
もしかすると、この人は街に愛着をもっていないのではないか?
もし、そうだとしたら。
【ポイ捨て禁止!】という景観的に美しくないポスターをベタベタ貼らなくても、ポイ捨てを減らせるのではないか。この場所が好きだ、この街が好きだ、と思う人が増えれば、街はすこしだけキレイになるのではないか。
ポイ捨て禁止、と叫ぶことは【マイナスからのアプローチ】といえる。マイナスからのアプローチは、怒りや恨みを引き起こす可能性もある。それは、ときに拾う側の【正義という刃】を振りかざすことにもなる。
一方、愛着のわく場所を増やすということは【プラスからのアプローチ】ともいえる。「だめだから、しない」のではなく「したくないから、しない」という自発的な行動指針によって決定される。そこには、正義をふりかざす必要がない。
これらのことは、きれい事であるかもしれない。でも、時間がかかっても、こういう取り組みによって街は過ごしやすくなっていくのだと思う。
ゴミが落ちているのか、落ちていないのか。
それはこれから始まる自分のお店に対する、誰かからの意思表示かもしれない。こういう測れないものを見落としてはいけない気がすす。
売上という数字をみることは大切だけれど、数字ではない大切なことも、同じように丁寧に受け止められるお店でありたい。
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