最大限にミニマム

なるべく、継続できるギリギリのところまで売上を少なく保つ。

なるべく、ミニマムにお店を構える。

なるべく、樹木のようにひっそりと。

なるべく、いらないものは削ぎ落として。

なるべく、日々を呼吸するようなリズムで。

なるべく、環境にも、人間にも、負荷がかからないように。

なるべく、小さな小さな成長で。

そういうお店をやりたいんですよね〜、と、大先輩の経営者に言ったところ、「意味ないじゃん」と一刀両断され、ふたりで顔を見合わせて笑ってしまった。

そりゃあそうだ。これは、ビジネスの目線で言ったら、意味ない。

だけれど、社会という目線で見たらどうだろうか。ビジネスの目線をすこし横において、街にあるべきものとして、だとしたら。それは”意味のないこと”なのだろうか。

慈善事業ではないから、当然、継続していくための”大きさ”は必要になる。だけれど、必要以上には大きくしない。利益の最大化を目指さない。そういう形があってもいいのではないだろうか。

最近考えていることは、”お金”って、川の流れのようだなあということ。

上流から下流にかけてながれている。その中腹に私たちは立っていて、生命維持に必要な水分だけを、そうっとすくって拝借する。自分の先にいる人を想像して、必要以上に自分の元に溜め込まない。

そうして流れていった先には海があり、海の水が蒸発して雲になり、雲が雨を降らせて、また川に流れる。

川を地球規模でとらえ、循環していると知っている人は、自分のもとに必要以上に溜め込まない。なぜなら、必要以上に溜め込もうとすることは、自分の首を締めることでもある、と知っているから。

みんながみんな水を独占しようとした場合、川の水は枯渇する。真っ先に、大きな器で溜め込めなかったひとから飢餓していく。

川は、きっと”経済”で、そこに流れている水を”お金”と呼んでいるのだとしたら、物質としてではなく、その流れ自体を”お金”と認識するとイメージしやすい気がする。

自然の摂理に逆らったことは、ほんの少しづつ無理が生じて長続きしない。いつだって、自然に成り立っているものの中にヒントはある。

その人が「意味ない」といったそれは、誰にとっても本当に意味ないのか。

そういった、静かな営みの中でしか生きられない人の希望にはならないだろうか。

小さな小さな声がかき消されずに、耳を澄まして聴きあう場所が必要ではないだろうか。

それは、もうすこしだけ草花に近づいた社会への可能性にはならないだろうか。

出来るのか、出来ないのか。成り立つのか成り立たないのか。自分にもわからない。でも、なんか大丈夫そうな気がする。いつもながらの根拠のない自信をひょいっと抱えて、おもしろそうな方向にすすんでみよう。

最大限に、ミニマムを目指す。

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コメント1件

  • 松島 馨 より:

    最大限にミニマム……なんか私の3輪トライクのよう
    ドアも無い、エアコンもオーディオも無いけれど、ちゃんと目的地まで連れて行ってくれるʬ

    右肩上がりに成長し続ける事だけがビジネスの目的ではないのですね

    経済も川の流れのように循環している
    あ、循環といえば私の勤めている会社は街路樹の管理などで豊田市からお金を頂いている
    豊田市に住んでいる方々が払った住民税が私の給料の一部となっているという事だ
    大切に使い、また誰かの元にたどり着きます様に…

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