数字に表れないこと
豊田市駅の下に、公共のトイレがある。
いつもキレイで仕事中よく利用していたのだけれど、少し前から”女子トイレはイタズラが続くので閉めます”の張り紙が貼られ、利用できなくなっていた。
何年も前からあったこのトイレ、なんで急にイタズラが増えたんだろう?不可解だったので、思い返しながら理由はなにか、を考えてみた。
そういえば、あのおばあちゃん、、、
ここのトイレには、いつも黄色いニット帽を被った掃除のおばあちゃんがいて、毎日丁寧に掃除をしてくれていた。10時頃から11時頃の間に行くと、たいてい掃除の真っ最中。
申し訳ないと思いながら、おばあちゃんに声を掛ける。
「おはようございます!掃除中すみません、トイレ使ってもいい?」するとおばあちゃんはギロっとこっちをみて手を差し出し「500円!」というのだった。私がびっくりしてドギマギしていると、おばあちゃんはくしゃっと笑って「冗談だよ、早く行きぃ」と言って、扉を開けてくれるのだった。
毎日顔を合わせるので、仕事終わりに挨拶したり、差し入れをもらったり、街のいろんなところで出会うたびに声を掛けた。
そんな人は私だけではなく、街にいるいろんな人がおばあちゃんの知り合いだった。
おばあちゃんは、掃除が終わっても、しばらくバス待ちの共有スペースでいろんな人とお話していた。”もともと他人”とはいえ、毎日顔を合わせていたら、だいたいみんな顔見知りになって世間話をするようになる。
世間話をしながらも、トイレの様子を気にかけ、あまりにも不自然な使い方をするひとには注意していた。それは、おばあちゃんが”街の人にここのトイレを気持ちよく利用してもらうことは自分の責任”とでもいわんばかりに、いい意味でおせっかいでもあったかもしれない。
だけれど、間違いなく、私はそのおばあちゃんがいるとき、そのトイレに行くことが楽しみだった。
「おはよう!今日も頑張りぃ!」と言われることが、嬉しかった。
夏頃だったか、いつのまにかおばあちゃんはいなくなっていて、別の人が入れ替わり立ち替わり、掃除をするようになった。たまたま別の場所で会った黄色い帽子のおばあちゃんに話を聞くと、「清掃の管理会社が変わって、入れなくなった」と言っていた。いろんな事情があるのだろう。事情があることはわかるけれど、とっても、とっても、悲しかった。
それからしばらくして、トイレの乱れが強くなっていた。
トイレが閉鎖されたことと、おばあちゃんがいなくなったことは、もしかしたら無関係かもしれない。でも、もしかしたら、関係しているかもしれない。それを示す証拠はない。数字化出来るデータもない。私の勝手な思い込みかもしれない。
でも、もしかしたら、、ずっとここを見守ってくれていたのって、あのおばあちゃんだったんじゃない、、?そう思わずにはいられない。
何事も起こっていないときには、その人の重要性には気が付かない。いなくなって、問題が起きて初めて、それまで誰かが”未然に防いでいてくれたこと”の意味を知る。
清掃員1人、ではなく、黄色い帽子のおばあちゃん。
代替可能な存在でなくて、唯一無二の存在だったんじゃないか。
人間は数字ではない。人間は機械じゃない。そういうことを思い知るのは、いつも失ってからなのかもしれない。
黄色い帽子のおばあちゃんが継続してお掃除してくれていたら閉鎖にはならなかった確率は高そうだ
トイレの掃除のチェックリストが利用者に見える位置に有れば、ちゃんと管理されてるからイタズラの抑止になる?
いや、決まった時間にしか掃除に来ないなら、その隙間の時間でイタズラされちゃうのか?
どちらにせよトイレにイタズラする心理がわからない
いつも会えていた人となかなか会えなくなるのはなんだか寂しい気持ちになるね