何者でもない時間
8月も、そろそろ終わります。
営業再開してから、およそ1か月。本当にあっという間で、びっくりしています。
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、こっちの方がいいのでは、こんなこともしたい!そんな思いとは裏腹に、日々が刻々と過ぎていくことに戸惑っています。
するべきことは有り余るほどあるのだけれど、それらと週末の子どもとの時間を比較すると、子どもと一緒に入れる日は全力で遊ぼう、と。
そんな言い訳をしながら、ちょっとづつ、ちょっとづつ、進化していけたらいいです。急ぐ必要も、焦る必要もない。誰かと比較することもない。細く、長く、コツコツと継続する。おばあちゃんになっても、ニコニコとコーヒーを淹れれたら最高です。
昔から、お休みの日の職場、というのがすごく好きです。オープン前の準備時間も、好きです。
休みの日に、お店に行って1週間の汚れを落としたり、翌週作業しやすいように整理しておく。仕込みもないくせにオープンの2時間くらい前に行って、自分のためにコーヒーを淹れたり、慌てなくていいようにゆっくり準備する。そんな時には、お客さんのことを考えずに好きな音楽を流せばよい。気になった本を手に取ってみたっていい。
お店が始まってしまえば「コーヒー屋」としての責任が生じる。家に帰れば「お母さん」としての私が顔をだす。だけれど、その隙間の時間は、何者でもない時間。
コーヒーを飲みに行こう、と思った時。知り合いのカフェでもいいけれど、知らない人ばかりのお店に行きたくなる時がある。それは、きっと「何者でもない時間」を欲している時。
茶室の中では、皆平等。
これは千利休の思想です。肩書きや、立場など、一杯のお茶の前では関係ない、と。
一杯のコーヒーの前では、皆何者でもない。
ただ、今、目の前のコーヒーを嗜んでいる。それだけ。
顔なじみのお客さんも、初めましてのお客さんも「何者でもない時間」を満喫できるようなお店でありたいなあと思います。
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