3月は「またね」の季節
気がつけば年度末。
この季節は、いつも感慨深い。
異動や転勤が決まって、遠くに行ってしまう人。就職で上京する人。学生から、社会人へと生活スタイルが大きく変わる人。転職して新たにスタートをきる人。
これまで会えた人に会えなくなるのは、やっぱり寂しい。
先日、異動になってしまうお客様から「今までありがとう」と、お手紙とお菓子とコーヒーを頂いた。「いつもの笑顔に元気をもらっていた」という手紙を読んでうるうるしてしまった。「今までありがとう」は、私のほうこそ伝えなければいけない言葉。
同封されていたコーヒーは、カフェ・バッハのものだった。一度行ってみたいと思っていた老舗のコーヒーは、ゆっくりと体と心に染み渡った。美味しいという言葉では表せられない特別な味がした。
4月から上京してしまう女の子は、高校生の時から来てくれていた。「いつか、カフェをやりたいんです」と、カフェの専門学校に行きながらカフェでバイトし、めでたく東京の飲食業界に就職。アルバイトの最後の日に淹れてくれたカプチーノは、一口飲むごとに心臓がギュッとした。どんどん少なくなってしまうコーヒーが愛おしかった。目指した道を、まっすぐと進む彼女はとても輝いていた。
コーヒーって、物理的に言えば「飲み物」だったり、「豆」という物質に過ぎない。けれど、やっぱりどこか特別なところがあるに違いない。
とても大切な方にもらったコーヒー豆は、1杯淹れるごとに幸せな気持ちが湧いてくる。そして「これを飲んだら、大丈夫」「元気の出るコーヒー」という、根拠のない自信として身体を覚醒させていく。
それと同時に、少なくなっていく豆の残量をみて「大切に飲まなきゃ」という愛おしさがじわじわと湧いてくる。そんなコーヒー豆を、そっとバックに忍ばせていたりする。(ちょっと変わってるという自覚あり)
目の前のコーヒーに、ときめいたりドキドキしたり癒やされたりする。特別は感情をいだき、勝手に勇気づけられている。それは、コーヒーという物質の向こう側に間違いなく「人」が居るからだ。
「人」と「人」の間を行き来しながら、ときに繋いでくれたり見守ってくれたり背中を押してくれたりする。それがコーヒーなのだ。
誰かにとっての、勇気や元気や喜びになれるようなコーヒー。いつもの毎日をちょっと彩るコーヒー。目指すべき私にとっての原点は、やはりここなのだろう。
また、お会いできる日を楽しみにしています。私も頑張ります。
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