「おもしろい」を見つける
「なんかおもしろいYouTubeみせて」と、息子が言う。
世も末か、と思った。おもしろいYouTubeってなんやねん。君の「おもしろい」は君の中にしかないでしょ。
《自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ》思わず茨木のり子の一文を引用したくなる。
便利な世の中の代償は、人間能力の劣化だと言える。あらゆることが待っているだけでも向こう側からやってきて、私達は首を縦にふるか、横にふるか、それだけで判断できる。そのうち、自分で自分の事がわからなくなる。縦でも横でもなく、首をひねってう〜んと考えることだってあってもいいはずなのに、いつしか「考える」という行為を忘れてしまったかのようだ。大多数の人の脳の機能を劣化させたほうが、都合のいい人が世の中には存在するらしい。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ。
ここに記すことで、自分に対しても、戒める。
そういえば、先週は「コーヒーの音」を嗜むイベントだった。どのくらいのボリュームで採取することができるのか、雑音、騒音の発生する具合などは当日お客さんが入ってみないと分からなかった。
結果的に「コーヒーの音」が思ったよりも拾えず、反対に「人間の音」が目立ってしまい、お客さんにはスピーカーに近づいて耳を澄ますという協力をしてもらい、なんとか聞き取れる、、?くらいのボリュームになってしまった。
改善点が山程あることが、悔しくもあり希望でもあった。もっと、もっと、良さを伝えられるようにしたいと思った。お店でも試してみよう!と思って、今週はいろんなお客さんにアドバイスをもらいながらマイクやスピーカーの微調整をしたりして遊んでいた。一番楽しんでいるのは、私だったかもしれない。
「コーヒーの音が心地良い」という部分からのメッセージではあるのだけれど、本当に伝えたいのは実はそこじゃない。「耳を傾ける」ということは「意識を傾ける」ということでもある。「目を配る」「気を配る」ということでもあるかもしれないし「他者の声を聴く」ということであるかもしれない。
自分への意識だけじゃなく、周囲への意識をちょっとだけでもしてみる、ということでもある。周りを見る、察知する、気付く、気にかける。みんなが1mmづつ、なにかに気付けたら、街はもっともっと良くなるんじゃないか。
コーヒーだけじゃない。コーヒーはきっかけに過ぎない。日常でも五感を意識できるように、自分に対しても戒める。
今週は、とにかく楽しい1週間だった。私の中の「おもしろい」を発見できた事は、とても大きな収穫だったと言える。関係者の方々、足を運んでくれた方々、ありがとございました。
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コメント4件
コーヒーの音最高でしたよ!
自分のワクワクを追求するって人生の永遠のテーマだと思いました!ありがとうございました〜〜。
感受性もそうだし、知識についても難しいことを知ってたり、理解できるはもちろんスゴイことだけど、それ止まりだと理解できない時に挫折しちゃいそう。
難しいことを考えることが「オモシロイ!」って思えるのが強い。まぁ別に強くなくてもいいけど、そう思える人の方が楽しそうでカッコイイ。