行列と沈痛
地元で愛されるたこ焼き屋さんが閉店しちゃったんだよね、、と姉が寂しそうに言った。
何十年もコツコツと、毎日毎日たこ焼きを焼き続けて地域に愛されてきたお店が、テレビに出て人気が急上昇で爆発してしまい、毎日の行列、駐車トラブル、店主のおじいちゃんの体力の限界、などなど積み重なってやむなく閉店(休業だといいな)しているという。
行列、というのは外側から見た感じだと、とても景気が良いし「人気のお店」としての認知も高まる。いつも並んでいるよね、という状態は、まだ購入したことがない人への期待も上昇し、ポジティブな印象だ。
反対に「内側」になってみると、行列が続く、というのはとてもしんどい。「一時的に」「一日のイベント限り」と割り切っているのであればまだ保てるであろうが、「毎日」のデフォルトになった場合、なかなかのメンタルを必要とする。
もちろん、ありがたい話ではあるのだけれど。
移動販売のときに、朝の7時から夜の9時までほぼ並びっぱなし×およそ2週間という現場があって、大好きだったカフェラテ作る工程が嫌いになりかけた。めちゃくちゃ好きなはずなのに。連続8時間を超えてくると、発狂したくなった。
何事も、いい塩梅、というのは重要だ。
先週、金曜日の夕方に、なぜかいつも穏やかなお店が急に混んだ。「暑い」「なにか冷たいものを飲みたい」が誘発した、つかの間の行列だったと思う。いつも来てくれる常連さんは、後ろのかたに順番を譲ってくれて、結局そのまま閉店時間がきてコーヒーを渡すことが出来なかった。後のお店の営業時間が迫っている以上、時間の後ろ倒しは出来ない。あとから思えば、テラスの奥の方でガチャン、という音がしたことに反応出来なかった。あの音の人は、大丈夫だったのだろうか。飲み終わったグラスを受け取る動作に、丁寧さが無かったのではないか。「またね!」と言って見送る視線に温度はあったのだろうか。
一連の流れをそーっと見てくれていた別の常連さんから「余裕が無いと良いサービス出来ないと思うよ」とズバリ痛いところを突かれて、悔しいけれどカウンターパンチを食らった。こういうこと、ポツリと言ってくれる人の存在は大切だ。キツイけど。
あの瞬間、STREETCOFFEE&BOOKSは、満足の出来るようなお店ではなかった。全然、ダメダメだった。未熟すぎる自分に嫌気がさしちゃう。
反省するときは、いつもそう。全然お客さんが来なかった日ではなく、想定外にたくさんの人が来てくれたときだ。申し訳なさの塊みたいなものが、こびりついて剥がれない。
バズらないように細心の注意を払う、というのは今の時代に必要なことかもしれない。煽らない、盛り上げない。行きたいタイミングで自ら来てもらえるよう、何時間でも居心地よく過ごしてもらえるよう、いつも淡々と営業する、というのは私にとっては最重要事項だ。
もちろん、たくさん人が来てくれるのは、本当にありがたい話ではあるのだけれど。その上で成り立っているのだけれど。いい塩梅、というのは重要だ。
いつの日か、どんな状況でも余裕を持ってサービス出来るときが来るのだろうか。テンパらない日は来るのだろうか。図太さだけが増していかないように。反省の念を込めて記しておく。
今週も、暑くなりそうですね。また、一週間、頑張りましょ◎
バズるためにあれこれ考える人たちもいる中、バズらないように細心の注意を払うってカッコいい!!
たしかに「追い込まれてから強い」とか「火事場の馬鹿力」とか、それはそれで派手に称賛されるけど、そもそも追い込まれないように、火事にならないように、日ごろから備える方が大切だよね。地味でも余裕を確保するために少しずつ備えを重ねていくのが実はカッコいいと思う。