東京のことコーヒーのこと
14日はお店をお休みして、東京へ。SCAJ、そして行ってみたかったお店にいくつか行ってきました。
4年ほど上京していたことがあり、東京は私にとってはちょっと特別な場所。専門学校のあった中目黒、初めてカフェのアルバイトさせてもらった学校の近くのカフェ、渋谷のエスニックなカフェ、横浜のカフェ。当時あったものがすっかりと無くなっていたり、道自体も変わっていたり、変化する速度がとても早い。
広告も、看板も、追い打ちをかけるように押し寄せてくる。めまぐるしい。私にとっての東京はそんなイメージ。
東京の主要とされる駅にいると、圧倒的に感じるのが「みんな、相当、急いでる」ということ。どわーっと走り抜けて行く人の波を見て思う。そりゃあ、忙しいよね。乗り換えまで数分しかない中で、乗り遅れたら THE ENDな中で、もたもたしている人がいたら舌打ちもしたくなるよね。困っている人がいても、気付かないし、助ける時間の余裕もないのかもしれない。
よく、都会の人は冷たい、という言葉を耳にするけれど、都会の人達はきっと「冷たい」のではなく、自分の通常を守ることに一生懸命なだけなのではないか、と思う。
そんな中で、資本主義の圧力からほんの少し解放されたカフェがあれば、それは本当の意味でカフェの役割を果たしているような気がする。
たった1杯のコーヒーとの出会いが、誰かの生き方を変えることがある。きっと、お菓子だって、料理だって、別のものだって、そういうことはある。ただ、コーヒーの場合、そうである人の率が高いような気がする。「あの1杯が、私の人生を変えたのだ」といい切れるような感覚。
それは、おそらく、その場その場の交換/精算の関係ではなく、交換以上の「何か」を受け取ったり受け渡したりする関係から発生している。
自分がその1杯に救われたからこそ、今度は別の誰かを。あのときの私を助けてくれたように、私もまた、別の誰かを。
そう思って、コーヒーの道を志す人は多い。そして、そうやって志した人は、贈ることを惜しまない。なぜなら、コーヒーから何かを得ることを考えるのではなく、コーヒーで何を与えることが出来るのか、を考えるから。
コーヒーは闘うための武器ではなく、温めるための手ではないか、と改めて思う。
ひさしぶりの東京、とても楽しかったです。ものすごいGのかかった同調圧力も体感できて、おもしろかった。
今週は土曜日までしっかりと営業したいと思います。今週もがんばりましょー♪
東京、楽しめたようで何よりです
時代とともに変わりゆく景色、「変わってく街並みのよう、誰にも止める事は出来ない」森高千里のGET SMILEの歌詞そのものですね ←生まれる前の曲かもしれんʬ
最新の設備やモノにときめき心踊らせる、昔からある場所や作法に心落ち着かせ安心感を得る
どちらも欲しがる
人間は欲深い生き物なのです
コーヒー、というかカフェは人の生き方に大きな影響を与える場所なのは間違いない
生きる事を諦めない、そんな気持ちにさせてくれてありがとう