日常革命としてのアナキズム@MAT,Nagoya
週末に、名古屋市港区のMinatomachi Art Table,Nagoyaにて行われていたトークショーに行ってきました。前日の夜に開催を知り、これは、絶対行かねば!と。
なぜなら、トークショーのゲストが「うしろめたさの人類学」や「くらしのアナキズム」の著者である松村圭一郎さんだったから。
展示会の題材は「PUNK」で、9月に豊田市で行われた「橋の下世界音楽祭」も展示していました。
トークの中で「なぜブルーハーツに若者が救われたのか?」という話になり、そこでてきた言葉が印象的でした。
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パンクロックは、社会に対する「怒り」のエネルギーを変換し、表現方法として「音楽」に託す。「おかしいんじゃないか!」「なんで!どうして!」「理不尽だ!」という怒りを、怒りのままでは伝わらないから、伝わりやすい別の形で表現する。それが結果として「誰かにとっての救いとなっている」
もしかしたら、誰にも伝わらないかもしれない。無意味だと言われるかもしれない。共感されないかもしれない。でも、実際には、結果として「誰かにとっての救いとなっている」
大きな革命なんてしなくていい。ただ、生きたい世界があるのであれば「革命後の世界を勝手にひとりで生きはじめればいい」
存続出来なくても、組織にならなくても、たった一人で表現すればいい。自分の方法で表現すればいい。たとえ後が続かなくても、それは無意味なことではない。存続するために形成された、組織のシステム化されたパンクは、全然パンクじゃない。ひとりの人間が居なくなったら熱が失われて終わる。だけれど、それに触れて感化された人がたった一人でもいれば、それが世界を変えるかもしれない。それでいい。
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そんな感じの内容でした。
腑に落ちるところがたくさんあり、自分の言語化出来ていなかったところもうっすらと見えてきたような、ヒントが存分に詰まったトークショーでした。
私には、おそらく社会に対する「怒り」がある。それを「怒り」から「穏やかな日常」に変換し、表現するための方法が「コーヒー」であり、カフェだった。
だから、勝手に、生きたいと思う世界を生きている。
社会を変えるための費用対効果なんていうものは、きっと驚くほど低い。前には全然進んでいないくらい遅いペースかもしれない。だけれど、絶対にやっていることは無駄じゃない。
もしかしたら「誰かを救うために」という目的ではじまったものではないのかもしれない。だけれど、「結果的に誰かの救い」になっていれば、それは何よりも嬉しいことなのかもしれない。
今年は、自分と向き合う機会がたくさんあって、とても嬉しいです。行ってよかった。よい一日でした。
自分の好きな本の作者さんがトークショーに来るとなれば「絶対行かねば!」ってなりますよね
TVで応援していた、世界で活躍する有名なラリドライバーが豊田市に来るから観に行かねば!…と同じですね いや、ちょっと違うかもʬ
ブルーハーツ、車で出掛ける時に子供たちにリクエストされて良く聴いています
こども園に通ってる時代から何故か「ハンマー」が大好きなのですʬ
戦争の事や世の中の理不尽な事など、自分たちが思っている事を彼らが代わりに歌にしてくれていたのです
「ブルーハーツ」や「藤井風」の音楽と同じ様に「STREET COFFEE&BOOKS」というカフェに救われた人間がここにいます
いつもありがとう